2015-08-27

ブコメ大喜利で心が傷ついた

からブコメした人は謝罪してください。

いきなりこんなこと言われたら「はぁ?」ってなるよね。

ブコメユーザーはいつも通り大喜利をして、周囲もいつも通りスターをつけて盛り上がってただけなんだ。

ところが当の増田はすごくまじめに記事を書いていて、それを大喜利ネタにされたことに本当に傷ついてしまたかもしれない。

ある日これがいじめですって言われたら、それを受け止めることができる?

例えばそれを受け止めたとして、ブコメした人が増田謝罪したとする。

でもよく考えると、確かにネタを投下したのはその人かもしれないけど、増田が傷ついたのは皆がそれに盛り上がったことなんじゃないかな。

他に方法がないからブコメした人が謝罪するけど、本当に謝らなきゃいけないのってスターつけた人たちなんじゃないかな。

これで今度は、「その大喜利は酷い」とかって、ブコメした人を批判する人たちが出てきたりするよね。

別にその人達は何かの被害にあったわけじゃなないのに、正義という名のもとに当事者でもないのに人を批判し始めるんだ。

ブコメした人は自分の罪を自覚しているか批判に甘んじてしまうことがほとんどだよね。

ブコメ大喜利した人は別に誰かを揶揄したいわけじゃなくて、増田はいつもそうしているだけなんだ。

でも、たまたま増田増田ルールに疎かったり、人にはわからないような琴線の触れ方をしてしまったりすると傷ついたりする。

それで増田が傷つくかどうかなんて、もう増田しかからないよね。

何が言いたいかって、いじめを解決する難しさってこういうところにあると思うってことなんだ。

いじめてる側はいつもどおりの行動をしているだけで、周囲もそれを楽しんでるだけってことが往々にしてありえるし、直接行動を起こした人間責任が求められがちだけど、実際にいじめが盛り上がる背景にはそれを楽しむ周囲の存在があるんだ。

いじめよくない!」「いじめ人間は悪だ!」って思ってる人、そうして正義を振りかざすことが本当はいじめの原因になっているかもしれないよ。

あれが悪いこれが悪いって思っても、たとえそれが真実だとしても、その言葉の向こうに生身の人間がいることを忘れないで欲しいんだ。

「笑いは残酷。」

ブコメ大喜利するときはこの言葉を胸に持って、どうせぶった切るなら切れ味よく頼むよ。

錆びたナイフでえぐられるような傷が一番やっかいなんだ。

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