高橋源一郎の「死者と生きる未来」を読んで、途中までは神妙に「へー、ふーん、そうっすかー」て思ってたんだけど、読後感最悪だった。
なんだそりゃ。なに勝手に自分が売り物にした少女に投影しちゃってんの?きもちわりー。この上もなく気持ち悪いです先生!
過去の蓄積の上に今があるとか、そんなん当たり前じゃねーか。
これだからイヤなんだよ。
袖摺りあった他人の人生を、勝手に自分の感慨にリサイクルしやがって。
他人の悲しみや苦しみを、他人のものとしてそっとしておくこともできずに、自分の糧のように恥知らずに乗っかってくる勝ち組の畜生め地獄に落ちろ。
すくなくとも自分は燃やしたい。そうして関わってしまった過去の、出会ってきた人々の、記憶にそうして自分の残像があることが許せない。
こういう奴の、人生の回顧の、いちゲストとして都合よく登場させられて語られるとか我慢ならね~!
おれは切り離したくても切り離せない過去のせいで毎日死にたくなってる。未来なんて想像もできない。死者なんて想うゆとりもない。
むしろ憎い。この今を成立させている過去の、死者すらも憎い。「終わったこと」にできればどんなに楽か。
想像で書くことが許されるなら、おれも書くぞ。
現実に追い詰められた人間には未来を想う気力なんてねーよ。それは体力と精神が健全であってできる贅沢だ。
少女はお前が傷ついているなんてこと考えてもねぇよ。ただ自分が傷ついたことで精一杯の少女が、どうして自分を売った三十男の心に寄り添ってくれると思うんだよ。
都合のいいこと考えてんじゃねぇ。
死者も過去も、その力がないから今の自分を責めないだけだ。それは優しいからじゃない。無力だからだ。
無力だから生きた無神経の群れに、こうして何度も何度も甦らせられてはその意思を代弁されて汚される。
あーもうたくさんだよ。