2015-07-26

不老を実現させる他、穏便に日本を保つ方法は無い

増え続ける老人、増え続ける税。

このままでは、働けなくなったら死、という世紀末のような時代の訪れはそう遠いものでは無い。

少子高齢は、定期的に話題になるが、今の日本が抱える最も大きな問題だとしてよいだろう。

さて、本題に入る前に、発展した国が必ず行き着く先として少子高齢社会というもの存在するが、この社会がそもそもどういう動きの結果日本で生まれたのかを説明したい。

簡単な話なのだが、社会一定平和を得ると、社会進出に価値が強まる。男性はもちろん働くが、女性も働く。

日本平和で進んだ社会であるから自分自分だけの幸せを追求することが理想的なことだと保証されてる個人主義的な社会であり、別に子供がいなかろうが社会から迫害されることは当然ない。

また、そうして社会レベルが上がっていることで、大学まで進学させないと実質的人間らしい生活ができない等、子供教育コストは跳ね上がっている。加えてこの国では国から現実に則した子育てへの支援も少ない。例えば産休などを取得しようものなら、復帰後、同じ地位が保たれる保証が国から成されていないなど、本当にろくでもない。

更に、日本では土地が高く若者収入は少ないので、パラサイトシングルという独特な存在も発生しており、これも結婚の遅れ、果ては諦めにつながっている。パラサイトシングルとは、実家寄生しながら働いて生活する人の事である。知らない人も多いかもしれないが、これは日本独自文化だ。(似たものは幾つか海外にも存在するが)

もちろん、そうした子供の減少についてだけが少子高齢の原因ではない。医療中途半端な発展もある。健康寿命は短いのに、寿命ばかりがお陰で伸びている。

(先ほど、発展した国が行き着く先に少子高齢社会があると記したが、日本はその中でも国の対応が遅れており、極めて早い速度でこれが進行している。一応、遅らせることに成功している国もいくつかあるのだが、とはいえ、結局のところ延命しかない。少子高齢は政策だけでどうにかなる問題ではない。もうひとつ言えば日本の政治家の手腕では遅らせることすら不可能だ。)

日本は本当に難しい環境だ。横並びの精神旧態依然とした年功序列など、若者のチャンスを奪うことに特化した企業蔓延本来社会の中心であるはずの若者がまるでボロ雑巾のように扱われている。こんな状態で子育てなど出来るはずがない。

万策尽きたか、という感じだ。この状況は残念ながら既存の大作で穏便に解決する方法は無いといって良いだろう。

しかし、ここでもし不老が実現したらどうなるだろうか。

先に、この手の話の際にろくに文章を読まず脊髄反射的な典型的反論をする層のために最初に書いておきたいが、

永遠に生きるなんて退屈に違いない!!!!11はい日本終わり、俺の勝ち~~~!!!111」

だとか

「そんなの!!人間をやめるってことじゃん!!私は死ぬ!!!!1111はい日本終わり、私の勝ち~~~!!!111」

とか、

技術の奪い合いで殺し合いが起こるね!!!1111111はい日本終わり、俺の勝ち~~~!!!111」

だとか、

独裁者が不死になったら最悪じゃん!!!111はい日本終わり、俺の勝ち~~~!!!111」

だとか

食糧問題が起こる!!!!111はい日本終わり、俺の勝ち~~~!!!111」

などなど

どうしたらこれほどに頭の悪い台詞が出てくるのかというものが、本当に、この手の話にはワンサカ湧いてくるので、先に釘を差しておく。よく分からない人はここは飛ばしてよい。

まず、長く生きるのが退屈なら、死ね。当たり前だが選択の自由が増えるだけであり、実現した場合の使用不使用は、お前に委ねられる。ただひとつ言っておくが、若い肉体でとても長い時間人生を謳歌できるというのは、既存価値観ではありえない話だ。体験してみてから文句を言う、或いは死ぬのでは遅いだろうか。

そして、人間定義自分で大した考えもなくこじつけるのは勝手だが、少なくとも人は社会環境にあわせて発明進化し続けてきた動物だとだけ言っておく。それが人類アイデンティティだとも。まあ死にたいなら勝手死ね

それから技術を巡った奪い合い?お前はいつの時代を生きてるんだ?私は、21世紀を生きているのだと思っていたが。ここは資本主義時代だ。動くのは金だけだ。一体どこで質の良いプロダクトを巡って企業傭兵たちを戦わせたりしているんだ?妄想もいい加減にしろ

極めつけに、独裁者??そんなものがどこにいるんだ。日本ではしっかりと国の政治家国民意思によってやめさせられる。不老になれば、例えば悪行をしたらば、その責任から逃れられなくなるのだ。何故、寧ろ慎重な決断をするようになる人間が増えると思わないのだろうか。自分の頭の程度で周囲を判断しないほうが良い。君が思っている以上に世間の頭は良いし、社会は仕組みに合わせ流動的である

最後に、日本は年々人口が減っており、人口が増え続けているのは海外である。伴って日本人口が安定しようとそんなことは問題ではないし、そもそもお前は人類がその程度の問題に屈する程歴史のない存在だと思っているのか。とにかく、自分の頭の悪さで周囲はかるな。断言する、仕組みが整うのが先だ。

バカへの先制釘刺しはこれくらいにして、話を戻そう。

もし不老が起こればだ。

もし不老が成立すれば当然年金などの制度はなくなる。ほぼすべての人口労働力としての価値を得るのである

いつまでも元気でいられるようになり、別れも事故でもない限り無くなる。

少子高齢という概念は、新たな子供を誰かの壮絶な苦労に期待して人任せに作らせ社会を回させる非現実的方針から、現役世代がより長く自由に、やりたい人がやりたい仕事をやることによって、日本から完全に消滅するのである

だが、それだけではない。これは思ったよりも社会に素晴らしい恩恵をもたらす。

年齢という概念社会的に全く重視されないものとなるが、齢を重ねてから貯金で再び大学自分のやりたい勉強をしにいく等といったこともできるようになる。

何かをやろうと思った時に、時既に遅しなどということはもうなく、もちろん底辺低賃金労働者でも、より長い時間を働くことで、上の世界を目指せるようになる。

貯金をためて「定期的な定年」なんてものも行えるだろう。40年働いたら10年休暇を入れても、問題ない。心ゆくまで趣味に没頭して、そうして、もう一度社会に戻れば良い。

なんと、素晴らしい世界か。

仏教では、基本的な考えとして「生老病死」を四苦とするものがある。不老が実現すれば、後ろ三つが取るに足らないものとなる。その時に果たして生はどのようなものになるのか。

我々は未知の価値観を受け入れることを嫌がるものだ。不老不死はこの世に混沌をもたらすのだという創作やら価値観蔓延している。或いは、そんな理想はきっぱりと諦めようとしているだけのか。

だが、もはや時代は違う。不老は目前のものである

http://www.bloomberg.com/news/articles/2015-03-09/google-ventures-bill-maris-investing-in-idea-of-living-to-500

グーグルベンチャー代表Bill Maris氏は、"If you ask me today, is it possible to live to be 500? The answer is yes," (もし今日、500歳まで人が生きれるのかと問われれば、その答えはイエスだ)と、自身投資先に信頼を寄せている。

http://www.ft.com/intl/cms/s/0/317cd592-e4ec-11e4-bb4b-00144feab7de.html

彼も比較的有名だが、Paypal創業者のPeter Thielが支援する英ケンブリッジ大学のaubrey de grey氏は、自身の抗加齢プロジェクトを進めている。

"Mr de Grey reckons that within six to eight years we will find a way to delay the ageing process in 60 year olds so that they do not feel 60 until they are actually 90."

(今後6-8年以内に60-90までの加齢をほぼ無き物にできるだろう。)

と主張している。

また、もちろん山中氏のIPS細胞の発展も大きい。比較自由に臓器を入れ替えることのできるようになる未来はそう遠くない。

それ以外にも、様々な方向から不老は進みつつある。今30,40代人間ですら、その恩恵には縋れるかもしれない。

から今日、私は先にこのような意見を書かせてもらった。

もちろんこんな社会は訪れないかもしれない。だがその時はただ死ぬだけである

人類がよりよい方向に向かう選択をする際に、愚かな決断をしないように。

穏便に日本が保たれることを願う。

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