2015-07-11

兄の自殺した意味がわかってきた

数年前に兄が自殺した。

いつも死ぬ死ぬ詐欺家族にしていて、でもなんとなく自分には「あぁ死ぬのかな」って思ってた。

覚悟を決めたような顔でもなく、言葉でもなく、親からいつものようにこれからどうするのか、という問いに対し

迷惑かけないように死にます」と言い残してちゃんと死んだ。

兄の苦しみは当時の自分にはわからなかった。とにかく問題児で、両親の注意は兄に惹きつけられていて、私は兄の文句毎日日々聞きながら、生きてきた。

親にこれ以上迷惑をかけないように、堅実に生きようとして真面目であるべきだと感じていた。

自分と違って、普通に学校へいくことも、働くことも、人と接することが満足にできない兄が鬱陶しかった。自分ができることをなぜできないのか。

人が出来て当たり前のことが何一つできない。そんな兄の愚痴をいつも車の助手席で、運転する父から聞きながら、だったらもう家から追い出しなよといったとき、「あいつは病気から病気だと考えて接しないと、やっていけない」といった父の言葉も、当時はわからなかった。

なんだ、病気って。自分だってどんなに辛くても学校へいったし仕事自分で見つけたし、仕送りなんかうけずに独立したし、人付き合いが苦手でもそれなりにやってきた。

それなのに兄は「病気」の一言で済ますのか、と。

兄が死んで数年たって、ボロボロになった実家を訪ねて、なんとなく兄の部屋に入った。

兄はずっとひきこもっていたので、部屋がどうなっていたのかなんて知らなかったけれど、とても綺麗にしていたようだった。

大好きなギターベース電子ドラムお金がないくせに誰にこんなもの買ってもらったのか、とおもったら親ではなく当時ヒモになっていた彼女からもらってたらしい。

兄は壊滅的に人付き合いはできないけれど、悪い人ではなくて、「どうにかしてやらなきゃ」と思わせるような人間だった。だからきっと私もそこまで辛くあたることはなかった。

死ぬ死ぬ詐欺を繰り返す兄だったけれど、この人はかまって欲しくて言うのではなくて、本当に消えそうだ、と思うから「そんなこといわないでよ」「お兄ちゃんがいなくなったら寂しい」と言った。本心からだった。兄は何も悪くない。私は途中から気づいてた。

でもある日、兄は消えた。いなくなってからすぐが衝撃的で、私は何もする気にならなくて、感情ごまかすためにわざわざ忙しくした。

最近になって、仕事が辛くなってきた。最初は楽しかったのに、仲良くなりすぎた為に、色々ギスギスしはじめた。

悪口ではないんだけれど、人の文句大勢チャットで盛り上がるような風習があって、誰かが祭り上げられてる度に、自分も言うべきなのか?と思ったけれど、思いっき自分に返ってくるブーメランかな、と思ったからあまりそういったことに入り込むことはやめた。

きっとこうやって人に対する文句を言っている人は少なから自分のことも言っているはずだ、と思うと胸がざわざわして切なかった

誰かを貶めて悦びを得て仲間意識を繋げるのは、嫌だった。本当にそうだと思っていたしても、自分の心の中にとどめておくべきなんだ、もし吐き出したいと思っても、それは同じ繋がりのある人間ではなくて、家族にでも話しておけばよかったのかな、と思う。でも悪口って結局は共感を得て快感を得たいだけだから、どうしても身近な人間を巻き込んでいくのだろうな、と思った。

自分も何か言われているのだろうなぁとは薄々察しながら毎日を過ごし、ある日それが確定的になった。誰がそういったのか、という疑心暗鬼は拭えず、様々な選択肢を考えて抜け出したいと考えた。自業自得なところもあるから、これも罰なんだろうなぁと考えて抜け出すための手段をあれこれ考えるのだけれど、考えて浮かぶ度に、何もかもが嫌になってきた。

周りからみれば些細なことなんだと思う。

抱え込むほど辛い悩みではないと思う。

でも考えれば考えるほど辛くて、抜け出したくて、時間を巻き戻せるならあの日に戻したいと思う。

兄の部屋で日記を見つけた。

兄はお世辞にも字がうまくなかったから、まさにミミズが走るようなその文字で色々書いてあったけれど、こんな気持ちになってから兄の日記を見つけて読んで、ああ、と兄の自殺した意味がわかってきた。

死ぬほどの理由に値することは人にとってそれぞれ違って、溢れ出る限界を人によって違う。死ぬほどのことか、って思っていたけれど、彼が感じていた絶望は、今は私が感じている絶望に等しかったのかもしれない。

こんなに悩み苦しむのであれば、選択肢としての「死」は悩みや苦しみから解放される最良の選択肢にすら思えてきた。

お兄ちゃんの心は、死んでからラクになったのだろうか。

お兄ちゃんに聞けるのであれば、「ラクになりましたか?」と聞きたい。

死ぬことはよく考えるけれど、今に引きずられて中々考えることはなかった。それ以上に怖かった。何もない無の世界なんて、今ある世界に比べたら恐ろしいくらいの恐怖だと感じていたから。

でもお兄ちゃんが救いを求めていった「死」にこそ今は助けがあるのではないかと絶望の淵で考えてる。

残された人になって、お兄ちゃんに今会いたいって心から思う。

あなたはラクになったの?

少なくともこのクソみたいにぐるぐると悩む日々から解放されたんだろうと思うけれど、きっと死の先に私の求める答えはない。

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