子供ができたらと考えると、ほとんどの時間が子供と家庭に吸い取られてカスみたいな仕事しかできなくなり、でも稼がなきゃいけない金額だけは膨大になり、結果としてカスみたいな仕事しかできなくても沢山稼げる主に馬鹿を騙して荒稼ぎするタイプの仕事や何もできない癖にマネージャーとかほざいてでかい顔を必死に取り繕う仕事にシフトせざるを得なくなって、子供の成長以外特に何も無いです、みたいなオッサンになって死を待つのみになるんだろうなあ、という恐怖しか浮かばない。
ワンピースがつまんねえ。ってのは、流石にネットの総意じゃねーかなw面白いってリアルでは聞くんだけどさ。
乙一とか、ドロヘドロみたいなのが、面白いのは、すんげー分かるし、ネットでも確かに評価されてる。
偏見っつーか。リア充の友達のイケメンの友達もまったく面白さが分からないんだわ。女子受けするんだろうなってのは分かるけど、なぜ女子受けするのかは分からない。
「今日朝起きたら、脚ピキって来て、マジ焦った」こんなつまんねーので面白いと言うの、多分女子受けするのは、分かるが、まったく理解できない。
まず女は35まで働くな。平均22、23歳で結婚しろ。子供を産め。その代わり働かなくても男に養われる権利を持ち、家事子育ての義務を負う。
男は年齢かける20の手取りを最低賃金として得る。20歳なら手取り年収400万。しかし、結婚しなければ半額は税で持っていく。
これで少子化解決。
機械化で週休2日が週休4日になるんじゃなく、失業者が倍になるからなくなったら困るな〜と思ってる。
元増田です。
それは一応。ヨーロッパ全土ではまだなので、その意味で、「それから欧州」と書いた。
改めて感じたのでちょいとまとめてみたんだが、確かにステレオタイプだった。
それが衰退へとつながるのだったら、やっぱりおかしいね、とする議論が盛り上がればいいんだけれども、もう世の中的に無理かもしれないね。
俺もずっと未来の進歩を信じて、オートメーション化をうけいれているぞ。
出始めは、ひたすら労働者の雇用を奪って、格差が進み、社会が不安定になっていくだろうが、
みんなに気にかけてもらいたくて、
正直うつ病だから、というよりもともとこういう性格だったんじゃ、、?
と疑心暗鬼。
極め付けは、私はこんなにつらいうつ病になったのに、
誰も私を気にかけてくれない、、ということを真剣に話す。
かなり嫌な存在になってきた。
長い目で見れば、行きつ戻りつで進化してんじゃないのかね。
「10年後になくなる仕事」という記事を見て、仕事がなくなることがこわいと思うことを不思議に思った。
いやなくなってほしくないという気持ちはわかるし、私も自分の仕事がなくなったら困るんだけど。
いま誰かがやっていることを自動でコンピュータやロボットで代替できるのなら、それは本来は
喜ぶべきことなんじゃないかと思う。
多分週休三日になっても、四日になっても世の中はまわる。
でもそうなる兆しはないし、たぶんこのままじゃきっと変わらないんだと思う。
いまの仕事は好きだし、不満もそれほどないけど、働かなくてよいのであれば働きたくない。
働かず好きなことだけして暮らしていけるのであればそっちがいいし、そういう社会を
実現するために働くのであれば今よりもモチベーションが上がる気がする。
今は進化のスピードに舵を切っているけど、働く必要のない世の中の実現を
ゴールになるといいなぁと思う。
と考えながらぼんやり考えていたけど、エネルギーさえ無尽蔵に得ることができれば
なんとかなるんだろうか。それだけじゃむりだよね。
どうすればいいのか教えて偉いひと!
イケメンとかリア充が話の中心になって、面白い文学なり漫画なりでも映画でもいいけど、あるかな。
そのあたりの面白さっていうのとは、質が違う、「ワンピースが面白い」とかの面白さをコミュ二ケーションってことなんだろうか。
でも、そうなんだろうなあ。
なるほど。他人と仲良くするのを良しとしない性格の奴には無理そうだな。
でも、どー考えても文学とか学問とかは他人を拒否って自分の我を通す系を良しとしてるから、どーもそこらへんが分からないんだろうな。
リア充とかコミュニケーション大切系の話が「本当に正しい」ってのを肯定するような映画でも文学でもあればいいんだけど、そういうのは大概駄作やし、低レベルなんが、気になるなあ。
でも、おそらくそのあたりのコミュニケーションは恋愛と関わってるのかね。
でも、やっぱ、イケメンや中位フツメンが自分のやってることを「顔じゃない、努力だ」って肯定したいだけのバイアスに思えるなあ。
ヨーロッパから結構遅れての今回のアメリカ同性婚成立だってわかってるのか?
かなり早いな?
いやアメリカはこういうの意外と遅い。
保守派が強いし、その根底には愛国心や信仰心があるから当然だ。
もちろん今後も急速にこれは広がり続けるだろうが、もうなんていうか全部古い。
アメリカの連邦最高裁判所が今月26日、同性婚を認める判断を示したそうだ。現代社会の風潮ではいずれ認められるだろうと思っていたが、随分と早いな、というのが当初の印象。これで同性婚が当たり前、という風潮が全世界的に加速するのだろう。アメリカの文化的影響力の大きいオーストラリアなどの英米圏、それから欧州、そして日本や韓国、台湾などへも波及して、同性婚が当たり前になっていくのだろう。
これは、人権尊重という点ではいいことなのだろう。だが、西欧型社会の存続という面で言えば悪い知らせじゃないのか。現代の西洋社会の終焉の始まりの一つとなるのではないかしらん。個々の人権を認めた西欧社会の安定した政治システムは、あと100年のうちに終焉を迎え、中世的な世の中へと変わっていくのではないか、という予感がする。
そもそも同性婚の法律上の許可を同性愛者が求める理由は、そこに配偶者特権があるからだ。異性婚の配偶者には、いくつもの特権が付与されてきた。すなわち財産権、税制控除などの経済的特権や、家族間の問題には他人が口出しを出来ないといった排他的特権、養子を引き取って育てる権利などなど。これを同性婚者にも拡大しなければならない、というのが米国連邦裁判所の趣旨だ。
だが、男女の一夫一婦制を基本とした夫婦以外にも、様々な強固な人間同士のつながりがある。一夫多妻制はよく知られている。それ以外に、数人の男女で暮らしている共同体もあれば、兄弟で暮らしている家族もある。今後高齢の独身者が増える日本では、同性の高齢独身者同士が寄り添って擬似家族的に暮らす人々も多くなるだろう。なぜその中で、夫婦だけを特別に扱わねばならないのか。たとえば『赤毛のアン』を育てた兄のマシューと妹のマニラの二人のような兄妹に対して、夫婦と同じ特権を与えない理由があるのだろうか? 性的な愛情を基本とした2人の関係を、友情だとか兄弟愛だとかを基本とした人間関係よりも尊重しなければならない、というのは少々無理があるのではないか?
それに人々はやがて気づくだろう。同性婚者家族に拡大された特権は、やがて様々な人間関係の共同体にも拡大されるようになる。特権が拡大しすぎた社会では、やがて特権自体の意味がなくなる。その先に待っているのは、誰もが夫婦に伝統的に課せられてきた義務を果たさない社会なんじゃないか。
ローマ帝国が終焉した理由として、ローマの市民権が付与されすぎて、特権が薄まり、ローマ市民たちが納税と戦闘の義務を果たそうとする意欲を失った結果、ゲルマンの蛮族の侵入を招いた、という説がある。お隣の中国大陸の清が滅びたのも、八旗に所属する支配階級である旗人に、モンゴル人や漢人を加えるようになり、旗人の人口が増えすぎて社会の弱体化を招いたことが原因だとも言われている。特権者が権力を失ううちに、義務を果たさなくなるのは世の中の習いであり、共同体の屋台骨が義務を果たさなくなったら、その社会は崩壊するのが世の常だ。
人間は不平等感に我慢できないから、権力者と自分は同じ価値があると思う人々は権力者の権力を奪おうと試みる。人間は優しい生き物だから、特権を与えられていた人々は、世代を重ねるうちに良心の呵責に怯えて、周囲に特権を与え始める。しかし「権利なき者に義務もなし」という言葉の通り、権利を与えられる人々が拡大すればするほど、その権利の意味は薄れ、大切にされなくなる。
西欧型社会の基軸である夫婦に伝統的に与えられてきた権力が失われると、やがて夫婦に課せられてきた子育てや相互扶養などの義務を人々はバカバカしく思うようになるだろう。そのときに、今の西欧型社会は崩壊するんじゃないだろうか。
すぐに絶対別れた方がいい。辛いだろうけど頑張って。