2015-05-24

子どもにとっての親と他人

ツイッターで下記のようなリツイートがまわっていた。

リツイート数1000を超える勢いで、多くの人が賛成のリプを送っている。


@Asaki_2: 保護者様へお願いです。店内で暴れてるお子様への注意に「店員さんに怒られるよ」はやめて下さい。

すでに注意しない保護者様へ対して怒っておりますし、その言葉きっかけで人のせいにすんなよと怒りで満ち溢れますし、仮にお子様を怒った所であなたは私を怒りますよね?保護者様が怒って下さい。


私は子どもを叱る。

日常茶飯である

毎日毎日叱る。

これをしたら危ない、これをしたら人が迷惑に思う。

こういうことをされたらどう思うのか。

叱らない日はない。

向き合ってゆっくり対話をしながら。

この叱り方は本に書いてある模範的な叱り方である

子どもも神妙に頷く。

叱り終わって、膝にのせて互いに抱っこをするときにこれで大丈夫だとほっとする。

でも、そんな叱り方で子どもがきくようだったら苦労はない。


電車の中やお店の中ではそんな悠長なことはしていられない。

低い声で叱る。手や体を掴んで物理的に止める。聞こえていないので大きな声を出す。

だんだんまわりの目が気になってくる。

ついつい出てくる言葉たち。

さっきも言ったでしょう。

まわりの人に叱られるのは私なんだ。

こんなに注意してがんばってるのに叱られるのは私。

涙がでそうである

ちなみにそれでも家でいる時よりもかなり、かなり相当にいい子にしている。


大人になって、人に叱られることがないように生きてきた。

子どもを持つまで、叱られるときといえば、仕事で失敗したとき。部下が失敗したとき

お金をもらっている仕事だと思えば、反省こそすれ、大きなダメージはない。

個人の人格関係がないからだ。


ところが、躾、というと話は違う。

親の顔が見てみたい、と言われる。

躾がなっていない子の親は人格を疑われるのである

まり、わたしが人格的になっていないから子どものことで叱られるのである

そうか、私が悪いのか。


その点、下町でのお出かけはとても楽である

子どもが走る。騒ぐ。まわりのおばあちゃん、おじいちゃんが子どもに叱る。

おばあちゃんおじいちゃんは私の顔色なんか伺わず、しっかりはっきり叱る。

少ししょぼんとするが、そのうちおばあちゃんのことが大好きでまたまとわりつく

親の言うことはまるで聞かない子どもだが、そこでは少しだけいい子である


子どもを持つ前から子どもと近い活動をしてきた。

そのときから子どもがいけないことをしている時、わたしは子ども自身を叱るようにしている。

親に謝られても子どもがごめんなさいするまでは許さない。


電車内で他の子の子どもを叱ると、子どもはあわてて親にぎゅっと抱きつく。

悪者は私だ。それでいい。

親は悪かったことを確かめ、抱きしめてあげればいい。

おとなしくなった子どもを抱くお母さんは少し安心した顔をする。


保育園小学校では少し怖いお母さんとして有名だそうだ。

それに対して他の親に怒られたことはない。

叱ってくれてありがとうとすら言われる。

そして、我が子もだんだん叱ってもらえるようになってきた。


親の言うことは聞けなくても、他人に言われるとわかることもある。

塾で習うのと親に習うことの学習効果の差があるように、叱りにも親と他人でそれぞれ効果が違うのだ。


子どもを叱れなくなったのはだれだ。

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