二歳になるうちの娘はうんこをしない。
若かりし頃にアイドルと呼ばれる美少女たちはひと通り追いかけてきたつもりだ。
美少女論については友人たちとこれでもかと語り尽くしてきた自負がある。
しかしうちの娘はそうした美少女論にはまったく当てはまらない美少女だ。
わたしといえばタレ目で厚ぼったい一重でやや離れ気味の目と収まりの付かない天パーからか、幼少期には見栄晴というあだ名で呼ばれていた。
数多くの美少女を語り尽くしてきたつもりの自分ではあったが、確かに自分に似た見栄晴が美少女である可能性については言及したことがなかった。
わたしを一層強く感じさせる娘の寝起きのむくんだ顔を見ながらわたしは確信した。
そんな娘は、毎日決まった時間におむつがえげつないもので溢れかえることになる。
しかし、それがうんこなのかどうかはわたしには判断ができない。
ただ言えることは、娘が美少女である以上、これはうんこ以外の何かなのだということだ。
同士よ。喜び給え。我々の確信は間違っていなかったのだ。