とりあえずやるなら東京だと思った。
駒沢公園に集合とか言ってみんなくる?
こないでしょ。
参加賞として増田ネームプレートくらいはプレゼントしようかなと思ってるんだけど。
でもとくに話すこともないよね。
みんなでブーメランでもするか。
何かきっかけがあって落ち込んでいるのなら「ストレス反応性の抑うつ」と考えられるので、比較的予後は良い。
精神科医が彼氏にふられたかどうか聞いたのは、そういう関係だと思う。
新一……すき……
今住んでる環境すべてが煩わしくなったので
環境そのものとっかえようということで衝動的に引っ越しをしました。
自分は最近デトックスというか断捨離に歯止めがかからなくなっている気がする。
必要な物まで捨ててしまっているような気がするし方法も徐々に過激化していているような気がする。
どうしても残したいと思えるものがない。
生活を維持し、そこから向上させていくという忍耐強さがなくなっており
嫌になったらまるごとぶん投げてまた一からやり直しというような短絡的な解決策を繰り返している。
多分問題なのは自分で、自分そのものをまるごと新しいのに取り替えるのが希望なのだろう。
このままだと自殺してしまうのではないかと思っているが、自分で自殺するかも、などと冷静に考えられるうちは大丈夫だって本に書いてあった。
鬱だとかそういう答えを求めているわけじゃなく、自分がどうおかしくなっているのかが知りたい。
最近男の人にフラれましたか、と失礼な質問をされた。その通りだけどそれは今の私の状態と関係がない。
もっと根源的な生きる希望みたいなものが最近極端に失われている理由が知りたいのにこの医者は答えてくれない。
どうすればいいというのだ。
この記事は口は悪いのですが、だいたい書いてある内容には同感です。
たしかにモラトリアムを求めて先延ばしにする男性は私の周りにも多い。
http://mess-y.com/archives/18412/2
誤解のないように伝えておきたいのですが
そのために必要なのは「共感」ではなく「事実を把握すること」なのです。
どうか1人でもいいのでコレを読んで良縁に恵まれる女性がいますように・・・
30代女性に結婚を迫られた男性の頭の中は損得勘定の天秤がゆらゆらしています。
【得】
・妻が安らぎを与えてくれる(ガッつく姿が利己的に見える女性が本当に安らぎを与えてくれるだろうか?結婚したら子供優先になって俺はATMになるんじゃないだろうか?ネットにはそういう情報があふれているし知り合いにもそういう男性はいる。そうじゃないばあいもあるだろうが知り合って日の浅い女性、数年の場合でも同棲していない場合、本性が分からないし・・・)
・子供が持てる(年齢高めなのでリスク+子供の数が産めないかもしれない)
【損】
・妻や子供の分も稼ぐというプレッシャー(今の時代は父祖父の時ほど簡単には稼げない)
残酷な話ですが仕事ができようが自分磨きしていようが30代の女性は20代10代の女性と比べて結婚するほどの価値はありません。(一部例外あり)
仕事を覚え収入が上がり、その評価で見直され若い女性に評価されるようになるのが男性の30前後です。
どんどん老いていく30前後の女性と伸びていく男性とはお互いの自己評価が釣り合っていないのです。
だからダラダラと先延ばしにしているように見える男性は、実は時間を稼ぎ別れるチャンスを待っているのです。
今まで時間を浪費してきたツケだと思います。女性にとっては仕事も恋愛も浪費でしかありません。男性担当である仕事、女性の担当である出産、両方欲しいと欲張った結果です。二兎を追う者一兎も得ず。
・死ぬ気で男に媚を売る(結婚できたら女性の勝ちです。素の状態に戻ってOK)
女性の人生の幸せは出産です。それが基礎となっています。社会が変わっても人間の遺伝子は1万年前と変化していません。
子供を産み育て、それを幸せと感じ生き延びてきた母たちの子孫が私達なのです。
まずはそれを受け入れましょう。
女は男とは違います。
遊びに若さを浪費せず、まずは良い男性を見つけて出産しましょう。
人生は長い。色々な事を楽しむのは、その後でも十分間に合います。
30代の女性のみなさん。
ターゲットを40前後~50代前半の男性に広げてみてはどうでしょうか?
この年代の男性は結婚を諦めている方が過半数なので、10歳以上年下の30代の女性が結婚してくれるとなると
喜んでくれる方もいます。
またお金も持っていて人格的にも成熟し、「足るを知る」といった境地にいる方は同性である男から見ても魅力的です。
(全ての方がそうだとは言えませんが)
以上、長々と長文失礼いたしました。
悪意はありません、男が偉いとか言いたいわけでもありません。
誤解のないよう伝わるよう願っています。m(_ _)m
2015年に入ってから三ヶ月が経過した。それは、今年のアニメの第一陣(1~3月期)が終了を迎えたということを意味する。
一月に始まったアニメの中で放送前の注目度が最も高かった作品は、言うまでもなく『艦隊これくしょん』だろう。2013年のサービス稼働時から今現在まで破竹の勢いで隆盛を極めていることは、オタク世界に足を突っ込んでいる人間にとっては周知の事実である。特に同人ジャンルとしての隆盛がめざましく、その勢いはかつての『東方Project』を彷彿とさせるほどである。今、最もオタク系コンテンツの中で熱量の高い作品と言っても過言ではない『艦隊これくしょん』の待ちに待った「アニメ化」である。世間の注目度が鰻登りするのはもはや必然だと言える。
だが、そのような前評判に反して、実際に放送された内容はお世辞にも上出来とは言えないものだった。いまいち目的が見えないまま展開されていくストーリー、調和の取れていないギャグとシリアスの配分、そして視聴者に衝撃を与えただけで後の展開にはあまり影響を与えなかった如月の轟沈・・・・・・少なくとも従来の「艦これファン」は戸惑いを隠せていなかったように思える。元々の期待値が高かったこともあってか、ネット上の書き込みでは非難囂々である。
一方、これと比較すると面白いのが『アイドルマスターシンデレラガールズ』のアニメである。これは『艦これ』と同じソーシャルゲームとしての出自を持つ作品なのだが、ブラウザゲーの『艦これ』と違って課金要素が強く、ネット上に出回っている数々の逸話も相まって「廃課金ソシャゲ」の代名詞みたいな存在だった。そんな敷居の高さもあったのだろう。アニメの放送時期は『艦これ』と同時期だったのだが、「アニメ化」に対する前評判・話題性は『艦これ』と比べてそこまで高くなかったように思える。事実、当の「デレマス」ファンの間でもそこまで期待値は高くなかった。「無難な内容でやり過ごして、ソシャゲ本体に悪影響を及ぼさなければそれで良い」なんて話をされていたぐらいである。
ところが、フタを開けてみればビックリの良作アニメだった。島村卯月・渋谷凜・本田未央の三人を軸に展開されていくアイドル界でのシンデレラストーリー、絶妙に挿入されるシリアス展開、そしてまさかここまで人気キャラになるとは思われていなかったオリジナルの男性プロデューサーの登場・・・・・・あくまで目算に過ぎないが、従来の「デレマスファン」を十分に満足させただけでなく、アニメからの新規ファンを大勢獲得することにも成功しているように思える。前評判の大人しさからは信じられない大躍進である。
もちろん、『艦これ』のアニメだってBlu-rayディスクの売り上げを見れば11000枚となかなかの数値なので、「商業的に失敗だった」わけではないだろう。ランキングで見ても現時点で冬アニメ(1~3月期)の円盤売り上げは暫定『艦これ』が一位なので、むしろ商業的にはまずまずの結果である。『デレマス』のBlu-rayディスクは現時点でまだ発売していないので比較しようがないし、KADOKAWAを初めとするバックの組織がいったい『艦これ』という人気コンテンツにどれほどの売り上げを期待していたかは全く分からないが、まあ近年のアニメ円盤の売り上げ規模から言えばケチはつけられない数値であることに違いはない。
ただ、こと「既存のファンの満足度」という視点に絞って言わせてもらえば、今回の『艦これ』アニメの内容は散々だったと言わざるを得ない。SNS上の反応を見ると、多くのファンが次週の展開を戦々恐々とした気持ちで見ていたことが窺えるし、事実としてその内容が彼ら彼女らの不安を払拭してくれる展開であったことなどほぼなかった。ていうか、他ならぬ「一番ファンからの評価が高かった回」が、本筋の話をガン無視して挿入された第六駆逐艦たちのカレー回(第六話)だったことがいい証拠である。同じ「ソシャゲ出身のアニメ」でありながら『デレマス』アニメとは雲泥の差である。もちろん単純比較はできないけれど、少なくとも『デレマス』はファンが来週の展開を心待ちにできるクオリティではあった。その週の内容をツイッターで実況して盛り上がることができた。各話の展開を思い出として胸に刻むことはできた。どちらがお互いのファンを満足させたか、延いては「どちらが抱えているファンを大切にするアニメだったか」の優劣はハッキリと出ている。
片や従来のファンすら激怒させる結果に終わり、片や従来のファンどころか新規ファンまで含めて感動させた。いったい何が両者をここまで分けたのか? というか『艦これ』のアニメはどうしてあんなお粗末な内容になってしまったのか? 冬アニメが一段落を迎えた今、改めてそれを考察してみたい。自分でも『艦これ』に対してきつい物言いをしているとは思うが、あのような悲劇的な過ちを二度と繰り返させないためにも、ここでキッチリと批判しておかなくてはならない。人気コンテンツにあやかった粗製濫造アニメは決して許してはならないのだ。
さて、そろそろ「どうして『艦これ』のアニメはあれほどお粗末な内容だったのか」その理由を語っていこう。実はそれこそが『デレマス』のアニメと比較してみると浮き彫りになってくる話なのだ。というのは、背後の組織が持っている「アニメ化」への意識が根本的に違っているからである。
『艦これ』のアニメがあれほどお粗末な出来であったのは、言ってしまえば「人気コンテンツをアニメにしてみた」に過ぎなかったからである。内容なんて二の次で、とにかく「旬なジャンル」を一刻も早くアニメにすることが至上の命題だったのだろう。商品的価値は『艦これ』というブランドが保障してくれるのだから、あとは適当にアニメの中で「吹雪」や「赤城」といった登場キャラをそれっぽく動かしておけば良い。そうすれば最低限『艦これのアニメ』としては成立する・・・・・・おそらく、制作サイドにとって最も重要だったのはこの『艦これのアニメ』として「成立している」ことだったのだ。たとえ「胸を打つストーリー」がなかろうが構成が破綻してようが、「吹雪」や「赤城」という人気の艦娘を動かしておけば『艦これのアニメ』に違いはないので、「艦これジャンルの商品」としては問題なく売り出せるのである。
いわば制作サイドにとって、『アニメ艦これ』は「単なる艦これジャンルのグッズの一つ」に過ぎなかったのである。どれくらいのグッズかと言えば、アニメイトなどで売っているキャラクターが印刷されたクリアファイル、あれと同水準の「一グッズ」だ。その商品的価値は「『艦これ』のアニメ」だというそれだけだ。しかし、たったそれだけあれば「金剛を印刷したクリアファイル」が『艦これのグッズ』として販売されるように、「吹雪や赤城が動いているアニメ」も『艦これのグッズ』として販売できるのである。何ともファンを舐めた話だが、「艦娘がただプリントされたクリアファイル」を『艦これのグッズ』として購入してくれるように、「艦娘がただ動いているアニメ」も『艦これのアニメ』として評価してくれると本気で思っていたのだろう。そうでなければあんなお粗末な内容のアニメを本気で『艦これのアニメ』と言って世に出せるわけがない。
もしかしたら「でも、キャラクターもののアニメなんてそんなもんでしょ?」と反論したい方も中には居るかもしれない。ところが『アニメ版デレマス』を見てみると、明らかに『艦これ』とは「アニメ化」に対する意識が異なっていることが分かるのだ。
『アニメ版デレマス』は、「キャラクターが印刷されたクリアファイル」などの「単なるキャラクターグッズ」は明らかに一線を画している。というのは、『アニメ版デレマス』の場合、「それがアニメとして成功するかどうか」は決して「Blu-rayの売れ行きの話」に留まらないからである。一番分かり易いのは、劇中のアイドルたちのデビューソングだろう。言うまでもない話だが、あれらの楽曲はCDショップで実際に販売されている。ファンのみんなはそれらの楽曲を「あ、アニメのあの話で卯月ちゃんが歌ってた曲だ!」と思って購入するのだ。そして彼女たちの歌声を聞きながらアニメの感動的なシーンを思い出したりするのだろう。
ここで考えて欲しい、もしも肝心のアニメの話そのものがお粗末な出来であったら、ファンのみんなはCDを購入するだろうか? もちろん楽曲として優れていれば購入する人間は居るだろうが、多くのファンは「あの娘たちが血の滲む努力の果てに勝ち取ったあの曲」だからそれを欲しいと思うはずだ。元のアニメの内容がイマイチだったら「あんな雑な作品のCDなんて誰が買うか!」と購入を控えるファンが続出するだろう。『アニメ版デレマス』の成否は「アニメという一キャラグッズの成否」に留まらず、「他のデレマスのグッズの売り上げ」にまで影響を及ぼしかねないのだ。
いわば『アニメ版デレマス』は、『アイドルマスターシンデレラガールズ』という作品に関わる全ての商品の「PV」としての宿命を背負っているのだ。劇中のデビューソングを初めとする関連商品を購入させ、あわよくばソシャゲ本体の方へ誘導して重課金させるという、商業的な使命である。そしてそのためには、ただ「卯月や渋谷凜などの人気キャラクターがただ動いているだけのアニメ」では決して許されない。きっちりと視聴者の心に響くような、彼ら彼女らを魅了してやまない良アニメでなければならないのだ。
「背負っているものの重さが違う」、『艦これ』の第6話で第六駆逐艦隊にそう語っていたのは足柄さんだっただろうか。カレー勝負ではその重さが災いして雷たちに勝利を譲る結果になってしまったが、現実の世界ではやはりその重さこそが「作品のクオリティ」として如実に表れたと言えるだろう。「単なる一グッズとしてのアニメ化」に過ぎなかった『艦これ』と「他のグッズの命運を背負ったPVとしてアニメ化」された『デレマス』の違いである。異論がある提督諸君はどうか自分の胸に聞いてみて欲しい。『艦これのアニメ』を見るのと、それと同じ時間を使ってブラウザゲーム内で艦娘のレベリングに励むのと、どっちが満足感を得られるかを(特に第6話以外でだ)。
さて、この話は以上で終わるが、最後に余談として「どうして『アニメ化』に対してそこまで意識が違ったのか」を個人的に考察しておきたい。
それは、そのまま「背後にある企業の態度」の違いだったのではないだろうか? 『艦これ』の背後にあるのはKADOKAWAという企業であり、基本的にここは「その時々の旬の作品のメディアミックスで利益を上げる」のがポリシーである。言うなればKADOKAWAにとって個々のコンテンツは「消費財」であって、食いつぶして消化しきったらまた次のコンテンツに移動するのである。我々にとって『艦これ』は近年まれに見るモンスター的コンテンツであるが、そんな『艦これ』でさえも母体であるKADOKAWAにとってみれば「その時々の旬な作品」の一つに過ぎなかったのではないか? 世に出てから二年に満たない期間で「アニメ化」までこぎ着けたのは、むしろ「旬が過ぎ去らないうちにアニメ化して利益を回収しよう!」というそういうことだったのではないだろうか? 邪推と言われればそれまでだが、どうにもKADOKAWAには「コンテンツへの根本的な不信感」みたいなものがあるような気がしてならない。
対して『デレマス』の背後にあるのはバンダイナムコエンターテイメントという企業である。ここにあるのは別にポリシーと言うほどのものでもなく、「いかに自社コンテンツを長生きさせて利益を上げるか」という企業としてごく普通の態度である。KADOKAWAが個々の作品を「果実」として見なしているのに対して、バンナムはどちらかと言えば「果実のなる『木』の方」と見なしていると言える。生み出したコンテンツは「金のなる木」であって、これを「長持ちさせること」こそが自社の利益になるのである。なのでKADOKAWAのようにコンテンツを「消費」することなどあってはならない、できる限り「持続させること」こそが至上の命題なのだと言える。そのようなスタンスだから、『デレマス』のアニメもしっかりしたものでなければならなかったのだろうと思われる。どっちかというと『プリキュア』のアニメでおもちゃを買わせているバンダイの方のノウハウなんだろうね。終わり
丸っこくて愛らしいクマのキャラクターのイラストがたくさん出てくる。
しかし、私たちはこのクマを、ほかのキャラクターと同様、「かわいい」という言葉のみで消費してよいものだろうか。
この肉感的な体つき、複数体で抱き合っている画像なんてむさくるしさを感じるほどだ。
実際に画像検索してくれたあなたはきっと、湧き上がってくる己の感情に困惑しているはずだ。
就活はじめました。
大学では1枚10円で履歴書が売られている。左上に赤字で「R」と立命館ロゴマークが 記載 された愛校心たっぷりの履歴書だ。私は愛校心の塊だし、なにより1枚からバラで買えるのは便利なので利用している。
ところで。
我が大学は、文科省にスーパーグローバル大学に認定されちゃうすごいグローバルなすごい大学だ。恐らく未来の地球を牽引するすごい学生を輩出するすごい大学になるために、頑張ってるんだと思う。
すごい。
そんな大学の履歴書なのだから、グローバル化された素晴らしい履歴書………なわけが、なかったのだ。
と思ってグチグチ書いてたのだが、私よりも当事者の方のブログを見つけたので紹介したい。
http://synodos.jp/society/7356
男とか女とかその二つの選択肢を選べない、選びたくない人たちについてどうするのかって話だ。
別に履歴書なんか全部かけってルールはない。しかし、その選択肢を用意した履歴書を使ったのに「あえて」空白にしたら、聞く人も少なくないだろう。
どこかの大学が「うちの学生はリクルートスーツ着せません!」と大々的に発表したらしい。うちの大学は「性別とか写真とか、うちの学生には提出させません!」と言わないだろうか。
幸せになりたいならもしくは勝ちたいなら頑張れ、なんてことは言ってないと思う。
マジレスするとこのグローバルエリートさんはアオるのが仕事だからそう書いてるだけです。
こういう話が日本人のうちで0.1%も当てはまらないのは理解されているんでしょう。
ですが、憧れやそうなりたい、と思う人間が日本人のうちで10%ぐらいいるんですね。
その10%ぐらいの人たちを煽ることで給料を稼いでいるんです。
http://contents.newspicks.com/news/916766/index?app=true
世の中の9割9分9厘はあなた達と同じような努力はしてないし、そこまでの努力をすることが幸せだとも思っていない。
正直言ってなんでそんなに勝ちたいのか全く理解できない。
なぜさも自分の生き方がスタンダードで正しいという立ち位置で話せるんだろう。
お前ら「努力できる突然変異型」は圧倒的マイノリティーってこと理解してんの?なんでそれを全員に押し付けてくるの?
「頑張ってる自分」をやたら外部にPRしてるけど、聞いてる方からすると「ああ自己肯定だけでは幸せになれない不幸な人なんだな」としか思えないし、本当に迷惑だからこっちのこと構わないで欲しい。勝手に頑張ってろ。