例えばFacebookなんかで
という言い回しが、
いわゆる社会科学の一つ。
SNSの浸透によって亜種からさらに新種としての現象が起こっているように思う。
・ネットでの発言自体が自己主張であるにもかかわらず、謙虚さを主張しているという言語と行動の矛盾
・謙虚さの裏側にある、私にはこの良さがわかる(時には私にはわかるけど、あなたにはわかるかな?)という優越感
何とも違和感が甚だしい。
○○さんとご一緒させていただきました
○○させていただきます。
要は、
主張の記号へと寄ってくるという事だ。
シェアさせていただきますにはその主張の記号としての傾向があるように思う。
違和感やある種の主張を感じる人が多いのではないか。
近々、○○させていただきますを謙虚の記号として使うことを危険と感じる人が多数を占めて、
なんだろうね。
少し楽しみ。
***追記***
そもそもの、それの用途に沿った使い方がなされていないからだという指摘があって、
調べてみて、少しだけ追記。
「~させていただく」の要件
(1)相手側や第三者の許可を受けて行い、
ごシェアさせてください
御者→読み方[ごしゃ] SNSなどでシェアを行い、シェアさせてくださいとおよそ不要なコメントを残す者。 またはその者に対しての侮蔑。 語源として、シェアさせてさせてくださいから転...
ジュワワワジュワワ、 ジュワジュワジュジュワワワワワ? http://anond.hatelabo.jp/20150403110707
http://anond.hatelabo.jp/20150403110707 謙虚さに隠れた自己主張の完成形である。
え!?何年も前から言われ続けてきたことを今更自分が考えたかのように書いてるの!? こういう奴って本当にいるんだな・・w
過去何も主張できなかったお前が言うなって話だろうけどね。 主張内容と主張内容の表現方法という峻別と、その価値を学ぶといいよ。
という言い回しが、謙虚さもなくていいとおおう。 http://anond.hatelabo.jp/20150403110707