むしろ「宗教」の定義次第かな。しっかりした教義やそれを実践する場所が決まっている宗教ばかりじゃないよ。というよりそういうものが必要とされたのは、既にある素朴な宗教を塗り替えるための手段だったわけだし。
素朴な宗教ってのは、生まれたときから自分も周囲もずっと浸かってて信じてると意識しないくらいのもの。でもそれに反する行動をしようとしたり見たりすることに強い抵抗を覚える。
「仏壇で先祖供養して教会で結婚式」は形式だけみればちゃんぽんで特定の宗教を信仰していないようだけど、「そういうものだと思って疑いもせずやっている」かつ「特に合理的な理由は無いからやめてもいいよね、と言われると止めるのに抵抗がある」のなら、それは自分の認識がひとつの宗教観に根ざしているということだ。
それが良いとか悪いとかじゃないし、別にそんなこと考えないで生きてたって全然構わない。でも、他の宗教に言及するなら、自分が参照している宗教観を自覚してからじゃないと、あまり意味のある話にならないと思う。
「無宗教」の定義次第だろう。 特定の「しっかりした」信仰を持つ者、の補集合を「無宗教」 その中で「信仰そのものを否定」する者を「反宗教」 と考える方が自然な気がする。 仏教...
むしろ「宗教」の定義次第かな。しっかりした教義やそれを実践する場所が決まっている宗教ばかりじゃないよ。というよりそういうものが必要とされたのは、既にある素朴な宗教を塗...