2015-02-25

インターネットと笑いは相性が悪い。

突き詰めれば笑いを取るために必要なことは、適切なタイミングで、適切な内容の発言をすることだと思っているのだが、

案外意識されていないのは、この適切な内容の発言には新規性は求められないということだ。

今までにない新しい表現でないと笑いは取れないということは全くなく、ありきたりの表現であっても適切なタイミングであれば十分に笑いは取れる。

例えば、落語なんていうのは江戸時代から同じ内容の話を続けていたり、同じ内容の噺を複数の人がしたりもする訳で、

その内容に新規性など無い。でも、十分に人を笑わせることはできる。

「布団が吹っ飛んだ」のような、使い古されてもはや単独では笑いが取れないダジャレであっても、

布団が電車の架線に引っかかったニュースはてブコメントすれば、クスリとさせるくらいのことはできる。

笑いに新規性は必ずしも必要ではない。

一方でインターネット上のコンテンツには新規性が求められる。

コピペなど著作権問題で以てのほかだし、同じ内容のコメントはてブにしてもスターが多くつくのは最初コメントの方。

「妹デスクトップ検索結果約 1,480 件でした。OTL…」のような類の発言も多く、ダジャレにさえ新規性が求められる。

Twitterパクツイが、いくら著作権的な寒天から非難されてもなくならないのは、

笑いに新規性不要で、インターネット外では誰しもパクツイ的な行為をしているからで、

笑いとインターネットの相性の悪さに一因があるのではないかという仮説を思いついた。

いろいろ、論理が荒いけどもう3時過ぎたし、私生徒会あるからもう行くね。

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