Cより先にアセンブラをやってたから「ポインタってインデックスレジスタみたいなもん?」みたいに理解して、よく分からん時はデバッガでアセンブラのコードをみて挙動を把握したから、そういうたとえ話で理解しなきゃならんってめちゃくちゃ大変そうに思えるわ。
クソどうでもいいことを、一応書いておくと
変数はメモリで実装される場合と、レジスターで実装される場合があって
レイヤーが違う。
話がしたい人は別にいいんだろうけど
俺みたいなコミュ障は入店しても、いつもと変わらないつまらない話して落ち込んで帰ってくるのが目に見えてる
相手もこんなつまんねーブサメンの相手するの金もらってても大変だろうなーと思い踏みとどまる
最近は仕事とか生活とかで鬱憤がたまると誰かと話して吐き出したいっていう気持ちが芽生えてるんだけど
それをキャバクラ・ガールズバー・スナックに求めるのは違うんだろうなと思って結局ひとりでカラオケいってストレス解消する
自分の下手さに失望しつつ、誰かと一緒にカラオケしたいなぁとか寂しくなる
そしてまたキャバ嬢なんかとアフターとか同伴したいなーとか思うんだがそんなの申し訳ないなって感じて踏みとどまって
モヤモヤして帰ってきた
こんなの教えれば小学5年生でも分かる話なんですけどー。
昔、初心者に薦めるモーツァルトを書きました。http://blog.livedoor.jp/unknownmelodies/archives/50632562.html
ただ 苦しい。
座っていても、歩いていても、ふとした瞬間に苦しい。
心のなかが 苦しい で 満たされていく。
この先 何年も 何十年も 治らないかもしれない。
そういう 苦しさよ。
それでも まだまだ生きるよ。
だから そうとうなんだろうね。
たぶん、なんねんも、何十年も、戦った結果でしょ。
エドの映画では、1カットの撮影は1回だけ。たとえ昼夜の辻褄が合わなくても、セットや演技がいい加減でも、そんなことは気にしなかったんだ。エドは時間を大切にしながらきびきびと生活していたんだよ。
エドが作っていたのは、見事なほどお金をかけない、循環型エコ映画だったんだ。だから、ひとつの映像をかけがえのないものとして大切に使い回していたんだ。お金が足りなくても映画を作ってしまう、エドらしいしぐさたね。
落ちぶれたかつての名優と友情をはぐくみ、自らの映画に起用する……エドにはそんな先人への敬意と気遣いはあたりまえだったんだ。だから、主演のはずの名優が途中で亡くなっても『Plan 9 from Outer Space』をがんばって完成させたんだ。
どんな相手も敬うのがエドのしぐさの基本だよ。相手が亡くなった人だったらなおのこと。そんなエドの死者への敬意は、死霊という設定の女性たちが衣装を着ないで踊るだけの映画を生み出したんだ。今では唯一無二の映画として伝説の作品になっているよ。
苦しい苦しい苦しい苦しいになって
この苦しさから逃れるには 死ぬしか無いとなって さようなら。
やろうな。
がまんできなくなったんやろ。
兄さん、僕はヨコハマに行きたいんだ。
と、僕が言うと、彼は言った。
けれどお前には左手がないじゃないか。
そんなんではヨコハマに行っても一人じゃ飯も食えまい。
確かにそうだった。
その時僕には左腕がなかった。
どうしてその時、僕はそんなことをしてしまったのだろうか。
僕は完全に忘れてしまっていた。
でも僕は行きたいんだ。
と言うと、
これを使え
と言いながら兄さんは
太った小男を僕にさしだした。
こんなものをどうしたらよいのだい
付ければよいじゃないか。
君が生まれてくる前、死んだおじいちゃんも良くやっていたよ。
コツはキュウリを食べさせてやることだ。
それにしても、なんで母さんはこんな冷蔵庫を買ってしまったのだろうか。
そうなってしまえば、僕は人より高い税金を払わなければならないじゃない。
まったくどうしようと言うんだ。
ただでさえ生活は苦しいというのに。
どうかそのわけを、ヨコハマに行ったら聞いて来ておくれ。
と兄さんは言って息を引き取った。
もちろん右手で食べた。
ばれたらまずかった。
どうしよう、僕はこれから一人で生きていかなければならないじゃないか。
僕の目から涙があふれ出した。
そうだ、この涙を水筒にためて、
水分補給のためにとっておこう。
僕はコツを探した。
キュウリがミソ、なんてね。
というと、左手の肩に接着した小男がけらけらと笑いだした。
やめてくれ。 と僕は言った。
本当にやめてくれ。僕は君みたいな見てくれの悪い奴に笑われるのが大嫌いなんだ。
僕は小男の頭をつかんで、強く引っ張った。
肩から抜けた小男は部屋の隅に転げて行くと、すぐに立ち上がって玄関から走り去って行った。
これではヨコハマに行けない。
行けないじゃないか。