http://anond.hatelabo.jp/20150214215841
https://twitter.com/cloq/status/566584186601877504
ラース・フォン・トリアーの映画を「ポルノ映画」ってくくりで観るとは…って思ったらミサワさんアンタか。
https://twitter.com/cloq/status/566584805479833602
ポルノって書いてあるからワックワクでトーチャーポルノ観に行ったらポルノってこんなのなの? って言ってるような感じ(に読めた)
https://twitter.com/cloq/status/566584532069920768
まあポルノかもね
https://twitter.com/tm2501/status/566585153980354560
全く違いますが?むしろ、ポルノ映画という区分けをあとで知ったぐらいなので、ポルノ的なことを期待してと言うよりは「めんどくさそうな映画」というイメージで見に行きました。
https://twitter.com/tm2501/status/566584715226779648
いや、内容的にはそういうことのために18禁表現使ったわけではないことはわかっていますよ?いますとも。でも、あれこれ書くにあたってポルノ映画と言うくくりになってることを確認したから「ポルノ映画」と表記したまでです。
https://twitter.com/cloq/status/566585297731731456
別にポルノだと思いますよ。思いますが、普段俺が読んでる類の映画感想と違った感触だなと思ったわけです
https://twitter.com/tm2501/status/566585932699037696
なるほど…。
アニメやフリーゲームの時の感想と違って細部の感想が全くないのがもったいない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E5%B4%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6
久しぶりに見たら全関係者の氏名が伏せられてて驚いたけど、archive.org見たら2013年にはもう伏せられてたんだな。
ターザン「We come from the land of the ice and snow, From the midnight sun where the hot springs flow」
http://anond.hatelabo.jp/20150212225404
続き
可愛い女の子「アナル増田さんのために買ったんです。ナースですよぉ~ お注射しちゃいますよぉ~」
アナル増田「それも重要だが…、もう一つある。君に決定的に欠けているものだ」
可愛い女の子「欠けているもの…。何ですか?前回は私に真の可愛い女の子認定までしてくれたじゃないですか」
アナル増田「とにかく!その服を脱ぎなさい!服なんてパンツだけで十分だ!」
アナル増田「白くていいパンツをはいてるな。少し食い込ませるぞ」
アナル増田「どうした?感じてきたか?すまんが、俺はそういったものには興味がない」
アナル増田「何故?人前でアナルを晒してもなんとも思わない君が」
アナル増田「ふふふ、君にもやっと芽生えたようだね。羞恥心が」
アナル増田「どうだ?パンツがあるだけで恥じらいが倍増するだろう」
アナル増田「これが羞恥心だ。アナルとは恥ずかしいもの、見られたくないもの、その聖域を侵すことにアナルの真髄がある」
アナル増田「それでいい。アナルとは神聖なものだ。あまり人に見せるでない」
おばあちゃんになってもセックスしてるくらい愛してくれる人欲しい
サブカルな一日を過ごして5時間半にも渡る18禁映画を見たものの、感想を書くとグーグルアドセンスに文句言われそうだからこっちに書くよ。
見たのはこれ(リンク先はwikiなのでエロ画像などはありません。)
ダンサー・イン・ザ・ダークの監督が手がける鬱映画で、セックス依存症の女性が自由放漫にセックスしてはそれゆえに人間関係ダメにしたり、人生をダメにしていくお話。
それを童貞のインテリがひたすら聞くと言う構図になっていて、回想が映像化されてる。
ざっくり言うと
・悪友がいて、その子の性で性に目覚めたプレイガールになって、愛の無いセックスをしまくるようになる。
・悪友は愛を見つけたけど、当の本人は色狂いであり続け、イタズラに男を食い続ける道を突き進む。
・それがどんな相手に対しても無差別にそうなってしまうため、時と場合によっては心と体が一致しなくなっていき、人を滅ぼしたり、自分の見を滅ぼしたりする。
・心がセックスに興味がなくなっても体が欲したり、逆になったりするがそれでも色狂いであり続ける。
・そうあり続けるために、どんどんアングラな方に手を出していき…
というのが簡単な内容。
内容自体はセックスの話であるようで、マイノリティ全般へのメッセージとして読み取れるきっちりとした話。(なんでセックスでその話をしてるかというと、性癖に関することは心と体のズレが生じやすく、それでいて治すのが難しい。しかも、正常と言う基準が難しい曖昧なものでしかないから一般の人にとって「少数派として生きるということを理解させやすい題材だから」なのよね…)
だけど、ジレンマとしてはセックスを描くことで上映される場所は減り、見る人がマイノリティであるため、マイノリティを理解させるためのわかりやすい映画の構成が丸々野暮ったく映る作品にできあがってしまった。
それにセックスを山のように描くことで、映画を見るための体力や精神力のすり減りようが酷くなってとても見られるものでなくなってしまった。
ポルノ映画ってあんな落ち着かないものなんだな!内容も描写も見ていて疲れる。大勢でポルノを鑑賞すること自体に疲れ、股間がモゾモゾするともっと疲れる。アダルトビデオやエロコンテンツみたいに抜くことを目的としてない「表現としてのポルノ」だから描かれること自体を否定する気はない。でも、アングラなものとして扱われても当然だと思えるだけの負担感が映画の作風からも、大勢でポルノを見るということからも感じられた。
マイノリティな考えの中で生きている人への副教材的な部分と、エールとしての部分両方が感じられる映画だけど、前者のためにやった演出は公開の仕方と矛盾してしまっていたから「ここまでわかりやすく作るのは野暮ったい」と感じてしまった。
一方で応援する方もする方で、一般の人にわかるような結論に落とし込もうとぐらつく描写をしてしまったため、「こういう映画じゃないよね?」というラスト10分になってしまった。
いいメッセージなんだけど、くどい。
邦画では絶対にやってくれないことを突き通してるけど、媚びてる感じが残る。
一度は見て欲しいけど、二度は見る必要がない。
76点ぐらいの映画でした。
もうちょっと疲れないポルノ映画があれば、見てみたいし、昨日見に行ったような映画座という場所での映画鑑賞もすごく興味深かったのだが、映画だけが今一つ刺さりきらなかった。
平凡な邦画よりはずっと面白いんだよ?色狂いであっても女性であると言う両立したバランス感覚のある描写がリアルで、息をのむんだよ?
でも、ポルノを使わないでもっと高等かつ野暮ったくなく、それでいて伝わるように描いたアニメ作品が存在することを考えたら「これはなぁ…」と言う感想でした。
ポルノとしての評価は…基準が少ないから参考になることは言えない。
ただ、一人の半生…それもめんどくさい性癖に目覚めた女の話だから、マニアックな性と肉体(若くて乳首や肌がきれいな女性と老けて乳首が黒ずんでくっきりと出た女性が同一人物を演じてる)のが多様に描かれてるのがAVやアニメではできないことをしていて面白かった。
ただ、ポルノ映画を見たのはこれがはじめてだから、どれだけポルノとして完成度が高いかはわからん。
チャックをおろして窓からちんこ引っ張りだしてションベンすると、チャックやパンツのスリットにちんこが圧迫されて最後まで出きらないんだよ
だからってわけじゃないんだけど最近の中等教育周りの話を簡単にだけしておくよ。
という感じの話だよ。
「2020年からセンター廃止されて新テストになるんでしょ?総合的な人間力試される的な。知らんけど。」くらいな認識の人が多いんじゃないかな。
その背景がどのように認識されてるのかは自分はちょっとわからないのだけど、詳しく知りたい人は中教審の答申を読むと良いよ。
新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申) - 1354191.pdf
センター試験に替わる新テスト。この辺はよく知られている通りだね。
「教科型」に加えて、現行の教科・科目の枠を越えた「思考力・判断力・表現力」を評価するため、「合教科・科目型」「総合型」の問題を組み合わせて出題する。具体的な作問に向けた検討の状況を見据えつつ、将来は「合教科・科目型」「総合型」のみとし、教科・科目に必要な「知識・技能」と「思考力・判断力・表現力」を総合的に評価することを目指す。
将来的には教科型、つまりこれまであったような数学ⅠAなどのような科目を廃する方向みたいだよ。また受験生達に均等に機会を与えるために複数回実施するらしいよ。
2019年から「高等学校基礎学力テスト(仮称)」なるものが実施されるよ。
全ての生徒が共通に身に付けるべき資質・能力の育成という「共通性の確保」と、多様な学習ニーズへのきめ細かな対応という「多様化への対応」を両者のバランスに配慮しながら進める必要がある。
提言されている「共通性の確保」と「多様化への対応」のうち、「共通性の確保」、つまり高校生ならどこの学校で学んでもこれくらいの能力は身に付けておかなきゃね、というためのテストが導入されるよ。
内容としては「思考力・判断力・表現力」を評価する問題も含めるけど共通性・基礎の確保の観点から「知識・技能」メインだよ。すなわちテストとしてイメージしやすい、各科目の学習事項が身についているかの確認テストだよ。
センター試験が替わるというだけの認識では、「これからは数値化できる学力じゃなく総合的な思考力うんぬんだ」となりがちで危険だよ。
「確かな学力」によるため「思考力・判断力・表現力」に寄る面はあるものの、答申にある通り「高等学校基礎学力テスト(仮称)」の結果なんかも出願時に大学に出す調査書に載るみたいだよ。
こうなってくると、ただ「新しいテスト始まるよー」だけでなく大学進学に向けて高校での取り組みも色々と見直さなきゃいけなさそうだよ。
自分の住んでいる東京都を例に出すけど、高校教育の中身と出口での変化に合せるために、先ず入り口から見直しは始まっているよ。
中学2年生の皆さんへ
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/p_gakko/28leaflet_koukou/besshi.pdf
学校により受験科目数が違ったのが5科目入試になるよ。また知・徳・体すべて大切なので調査書の点数化方法で美術や技術家庭なんかの比率が大きくなるよ。
答申にある通り学習指導要領の見直しが始まってるよ。2016年度に答申が出て実施は2022年度からみたいだよ。
その中ではPISA型学力の発育を目的とした思考力・判断力などの育成や、アクティブラーニングを取り入れなさいといったことが明文化されるよ。授業の雰囲気もこれから変わっていきそうだよ。
またこれも東京都に限った話で恐縮だけど「都立高校学力スタンダード」なるものが始まってるよ。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2013/03/20n3s300.htm
学校ごとに「この科目ではここまでできるようにしますよ」みたいな目標を掲げるようになったよ。
そしてそれだけじゃなくてその事業の一環で共通試験を行うようになったよ。その実施がつい最近の話で、Twitter で「学力スタンダード」と検索してみると「なんの事やら」と思いながらもただの外部模試の感覚で受けてる高校生たちのつぶやきが見れるよ。
そしてその目標達成度なんかも公表されるみたいだよ。これでかなり全体像が見えてきたよ。
今後の変化の全体像には先の中教審の答申PDFの最後のページが資料としてわかりやすいよ。
高校の中での勉強ではセンターに替わる新テストを突破できる総合的な力を身に付けさせなきゃいけないよ。それだけでなく高校在学中にやる新基礎学力テストでも得点を取れるようにしなきゃいけないよ。その結果なんかも中学生が先を見据えて高校を選択する上での新しい指標になるかもしれないよ。どちらもできるようにしなきゃいけないよーと試行錯誤してるうちに新学習指導要領が降りてくるよ。大変だね!
これに向けて東京都なんかは先述の通り高校の入り口を変え、中身を変えと取り組んでいるみたいだよ。例えば学力スタンダードの点数公表なんてのも新基礎学力テストの先駆けにも思えるよね。
こんな風に、これから数年間、大学入試改革前後は本当に変化の多い数年になりそうだよ。
先のPDFリンクにあった今の中学2年生なんかはこれからのこの流れに、波の先っぽに突き動かされるみたいに綺麗に乗る形になるよ。大変だね大変だね!
なぜでしょうか。あなたは本を読まないのに。
小便したあとにチンコをズボンにしまうときに、垂直よりもコッチ側にしずくが落ちることがあるのよ。
年をとって切れが悪いと少なからずの量がジョボジョボでることもある。
「勉強になる本」を読んでその程度かよ!