間違いない。
若いうちはかぶれるものとか言ってるブコメバカーは目を覚ませ。
若いうちに刷り込まれたバカーは矯正される機会がない限りずっとそのまんまなんだぞ。
そんなバカーが子供を持てば「嘘つきはシナチョンの始まり」とか言い出すかもしれないんだぞ。
いいのかそれで。
常識とは思わないな。
公衆の場のマナーであるから、銭湯の描写とかで避けてほしいというのはわかる。でも、自宅風呂の描写にまで常識として持ち込まないでほしい。
自分はショートだけど、もちろん現実の温泉なんかではまとめるのが礼儀だと思う。
でも、自宅ふろは好きにしたらいいじゃない。自分が邪魔かどうかだよ。常識関係ない。
湯の汚れが気になるなら、出る時シャワーですすげばいいだけのこと。
更に、絵として見るのはまた別問題だし。自宅風呂で一人で入ってる場合、例えば心情的に落ち込んでいたりするシーンで、時に目の下あたりまで浸かってる描写とかあるじゃん。
http://anond.hatelabo.jp/20150114232029
3)パシフィックリム
4)新世紀エヴァンゲリオン(TV版)
5)LUPIN THE IIIRD 次元大介の墓標
6)以下追加予定
7)
「死んだと見せかけて実は生きていた」作品の方が多いのではないか
前の「死んだ人間が生き返る」展開が許されるリアリティラインの作品が少ないためと考えられる
前段の舌の根も乾かぬうちに恐縮だが、本作では文字通り「死んだのに生き返る」がラスト直前の展開である。
ラスト前、主人公トレジャーハンターJC(役名)がスカイダイビングで火山へ降下していく。息詰まる空中戦の結果、JC(役名)のパラシュートが無効化されてしまう。
まっさかさまに落ちていくJC。迫る地表!どうするJC(役名)!誰かから空中でパラシュートを奪い取るのか?どうなるJC(役名)?予備のパラシュートがあるのか?味方の飛行機がやってくるのか?JC(役名)が死んじゃう!
結局、溶岩が固まったと思しき堅そうな山の地面にそのままJC(役名)は激突してしまう。
と、めっちゃ痛そうな、ふらふらした様子でJC(役名)はなんとか立ち上がる。>ラストバトルへ突入
な ん だ そ れ
これは前回の特に理由のない奇跡(ナウシカ)に分類することも可能であろう。
だがむしろ理由が十分にあると考えることはできないだろうか。「ジャッキーチェンだから」という立派な理由が。
本作はかなりいびつな構造のシナリオである。面白い。だけどちょっとなぁ…と乗り切れなかった人もいるのではないだろうか。
理由の一つは香港戦で1回話が終わっているということである。ローリーベケットが落ちた穴から這い上がってしまう(兄を失った事件による問題が解消されてしまう)のだ。
まず香港戦を見てみよう。
香港戦のピンチはベケットとマコの乗るジプシーデンジャーがオオタチに成層圏まで連れて行かれてしまい、今まで使っていた武器プラズマキャノンが使えなくなることである。
ピンチは視聴者とローリーベケットが知らなかった武器、マコだけが知っていたチェーンソードで解決される。
ご都合主義的な面は否めない。
成層圏からの落下問題はなんとなく丈夫だったから、で解決される(ライジングドラゴンと同様)
時空の裂け目を超えて異世界に行って戦う。(○イ○ックスと同じ)
太平洋上、ポッドの中の主人公。心臓が動いているサインはない。悲しむヒロイン。
フレームアウトしたまま主人公が喋る。生き返った!(または死んでいなかった!)
王道なのにどこがまずいのか。
畳み込む展開、どんでん返し、予想とのギャップ、あっという驚き。
洋上シーンの前にイェーガー内から脱出ポッドが射出され裂け目から地球の太平洋にもどる場面が明示されている。
観客は、最大のピンチ(異世界から帰れない)が解決されているのがわかってしまっている。
「死んだと見せかける」シークエンスの
うまく行く王道展開と、うまくいかない王道展開はこんなところに差があるのではないか。
視聴者のハラハラ感をコントロールする技量・パワーは舌を巻くものがある。
その時まで(それ以後もだが)
「死んだと思ったが(特に理由もなく)生きていた」クライマックスとフィナーレを持つストーリーが繰り返し語られてきた。
先週死んだはずの綾波レイが今週も現れる。
視聴者は「おいおい」とつっこみながらも、「まあそういうこともあるかもね」と飲み込みながら視聴を継続する。
その後にやはり死んでいたことが明らかにされる。
”私はたぶんn人目だから”
「死んだと思ったが生きていた」と思ったが実は死んでいた。
このパターンは極めて珍しい。
ルパンや次元が本当に死ぬと思って観に行く人はほぼいないであろう(ドラえもん長編映画と同じ)
”次元大介の墓標” というフレーズ自体は凄腕の殺し屋が、ターゲットの墓を、暗殺実行の前に作るという外連であることが早々に明かされる。
1%の「本当の死かも?」というハラハラ感のためでもあるが、ただし、次元の死を偽装するという営為は放棄されない。
劇中ではメインゲストキャラクター(敵の殺し屋)に向けて死が偽装される。
一方、観客に向けてはHOW?どのようなアイディア/からくりで死を偽装したのかというサービスが提供される。
A:いかに巧妙に「死んだと見せかけるか」
B:いかに巧妙に「実は生きていた」理由付けを隠すか
赦と許は、AがBに内包されている、という関係性ではないように思う。
AとBは、一部かぶって使用される場合もあるが、異なる意味もそれぞれに存在する、というような関係じゃないかな。
完全に相反するわけでもないのはもちろんのこと。
日本語は同音異義語が多いし、漢字を使う言語だから、同音異義語同士の関係は、単純なA=Bとか、A>Bとかだけじゃないよ。
ストレスたまってきたら上下前歯や犬歯でカチカチガチガチする癖が抜けない。
ここ数年、ひどいもんだ。
歯並び悪くなる。
睡眠中の歯ぎしり予防のバイトガードつくってもらったけど、やっぱけっこうすごいんだよ。
どうしよう・・・
ネットは試したけど無視されるか読む側に都合よく曲解されて叩かれるか、稀に当たり障りないアドバイスをくれるかのどれかだった。
「ダサピンク現象」は、男女の問題ではなく文化的差異の問題である - ココロ社
http://kokorosha.hatenablog.com/entry/2015/01/13/214552
について書かれたid:Midas氏の一連のブコメが面白かったのでまとめておく。
- 20年くらい前のカルチュアルスタディズの1番ダメな部分を読まされてる様でとても正気とは思えない。まず文化と性別は分けれない。性別なしのニュートラルな文化などない。但し文化は性別を直接反映してはいない。
- 文化が生まれる(その派生条件)のは正に我々が性別に対して考察する(男はこう…女は…)行き詰まりから。男女の問題がなければ文化もない(動物や昆虫に文化が必要ないのは彼らが「男の役割」みたいな事で悩んでないから。
- この人がここで言ってるデタラメが面白いのは途中までの理屈が構築主義フェミニズムと一緒(この人なりに懸命に女性に寄り添おうとした結果墓穴を掘ってる)だから。例えばひと昔前までこういう論文は山ほどあった。
- やってる事はこれと同じ→問題提起「なぜ女性向け雑誌には占いのページが多いか」回答「それは男女の問題でなく文化的差異の問題。『女は占いを好み男はスポーツを好むから(統計もそう示してる』みたいな発想は誤り。
- 『男はこう女はこう』という考え方は偏見に繋がる本質主義。そうでなく『占い好きの女』を語る視点からのみ世界は『女は占い好き』に見えるのである。我々はここに男女の本質でなく権力関係を読み取らねばならない」
- 男と女の違いは犬と猫の違いではない。犬の本質(ワンとなく、嬉しいと尻尾を…)がどう変わろうと猫の本質に影響はない。男と女はそうはいかない。私が男らしく(女らしく)せねばならないのは女(男)が目の前にいるから。
- 逆にいうと私が真の男(女)らしさに到達できない、自分が本当に男(女)だと実感できないのは目の前の女(男)が謎の行動をとったり理解不能なツッコミ(それって違くない?)を入れてくるから。これを「敵対的関係」と呼ぶ。
- 確固たる本質がないにも関わらず正にそれ故にお互いを自らの規定の為永遠に必要とし続ける男女の袋小路(どうやればモテるか。どれがダサいか)が文化。男と女とはこの2つの世界を読解する失敗の方法に与えられた別名。
- 故に「どれがダサいか」も男女で違う。長くなるのでこの辺でやめとくが簡単に説明しとくとこの「ダサピンクが目につくのは人気だから」がダメなのは女には『多数派』という発想が通用しないから。女は一般化できない。
- 女は一人ひとりが『特殊』の集合体。女は「自分だけは特別」と思ってる。男は「矢沢永吉がスゴい(特別」みたいな発想しかできない。特例が必要なのは「我々男はどれも同じ(社会的存在」と思ってるから。
- 男のいう「あいつは酷い」は単なる裏返し。故に「それが素直に言えないのである(嫌よ嫌よは愛情表現」みたいな発想からも抜け出せない。対する女が抜け出せないのは内的な限界(空虚感、自己不信、気まぐれ、断捨離…
例えばMidas氏のコメントにはこれまで色んな人(学者とか暇な頭良さげな人とか)が
すでに議論したことに触れたことがあるのだなという「背景」を感じる。
それで、なるほどなあ、と思う(賛成の部分も首をかしげる部分もあります)。
男女問題、ジェンダー問題に限らず、みんなが疑問に思うことは、みんなこれまで結構考えているのだ。
自分のアタマで考えよーもいいけど、まずはそういうものに触れてみてはどうかな、ということだった。
ダサピンク問題に関しては、あまりにも「何周目だよこれ」という記事やコメントが多かったので。
http://b.hatena.ne.jp/entry/239048296/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239140285/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239219334/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239222743/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239223009/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239223181/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239223541/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239223932/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239226929/comment/Midas
http://b.hatena.ne.jp/entry/239227815/comment/Midas
見にくいという方はご意見下さい。
なにそれしらない、めちゃ気になる
最近就職が決まったり自主的に勉強して割りと難しい資格(少なくとも自分にとっては)をいくつか取得しちゃったりと、
割と人間らしい生活を送ってたからか、「自分はこのまま頑張れば人間らしい生涯を送れるんじゃないか?」なんて恥ずかしい勘違いをしてしまったようだ。
自分は死ねば全て解決論を唯一の心の安寧に生きるしかないどんな根性論でも覆せない自然淘汰一直線のゴミ人間だということを忘れてはいけない。
散々時間をかけて自覚したはずだけど、気の迷いでどうにかなっていたようだ。
カウンセリングって実際まともな話できんのかなあ。
メンヘラじゃなくて重い人生相談をしたいんだが(重すぎて現実でそういう話できる人がいないので)。
カウンセラーの人生経験がしょぼくてしょうもない自己啓発書だかJPOPみたいなこと言われて終わるような気がする。
そんなことはないんだったら利用したい。
カウンセリングの相場は、30分1万円くらいだ。実際は保険適用で1500円になるイメージでいい。
しかし元値は1万円なのである。人間のケアをするスキルのある人間の時間を買うには、本来それだけの金が要るということだ。
「魅力的な異性が現れて、自分を無料で救ってくれたらいいのに…」と考えているメンヘラは、
スキルのある人間によるサービスを、自分だけが特別に無料で受けられることを望んでいる。
しかも、カウンセリングではカウンセラーの容姿を選ぶことは出来ないが、恋人に救って欲しい系のメンヘラは、
好みの美少女やイケメンが無料でカウンセリングしてくれたらいいのに、と望んでいる。
そしてカウンセラーは独占することが出来ないが、メンヘラは恋人のリソースを全て自分に注がせようとする。
カウンセリングは予約制で、深夜に突然電話しても誰も答えてくれないが、メンヘラは恋人に24時間対応を迫る。赤ちゃんの夜泣きレベルである。
有料よりも圧倒的に細やかなサービスを、一般市民に対して、無料で求めるのである。
だからメンヘラは異性に逃げられる。そして「ヤリ逃げされた」「貢がされた」と一方的な被害者面をするのだ。
イケメンメンヘラや美少女メンヘラであれば、寄生先の一般人は次々と現れる。
新たな寄生先が見つかると「幸せポエム」をSNSに投稿し、逃げられると「被害者ポエム」をSNSに投稿する。
逃げられても次、逃げられても次と、老化によって容姿が衰えるまで同じことを続ける。
この行動パターンに男女の差は見られない。
本質が寄生虫であるという点は、被害者ポエムを投稿して2chで嘲笑されているようなメンヘラと同じなのに、
容姿弱者には寄生先が見つからないから、ポエムすら投稿できないのである。
そして容姿弱者のメンヘラは、友達や収入にも恵まれないことが多い。
「恋人にしたくない」し、「友達になりたくない」し、「雇用したくない」「一緒に働きたくない」。
これらを併発しているのが容姿弱者のメンヘラで、一般市民にはどうしようもないのである。
容姿強者のメンヘラは、恋愛に逃げ込みがちだが、その流れを一度断ち切って、プロのカウンセラーによる根本的な治療を受けるべきである。
容姿弱者のメンヘラも同じことだ。精神疾患が治っても容姿は変わらないので、恋人は出来ないままかもしれないが、
少なくとも治ることによって友人は出来やすくなるし、職場での人間関係も無難にやれるようになっていく。
恋愛トラブルを繰り返し起こして老化してモンスター化していく容姿強者メンヘラよりも、
友人や同僚と安定した人間関係を築ける精神健常な容姿弱者の方が、生活状況は比較にならないほど良いものだ。
また、保険にも入っていないレベルの貧乏人が30分1万円のカウンセリングを受けるのは不可能だから、
いっそ生活保護になれば良いのではないだろうか。
メンヘラに必要なのは、一般市民による24時間体制・無料のプライベート精神介護ではなく、国による福祉である。
一般市民に過剰な期待をすると、期待された一般市民の人生を潰すことになる。メンヘラの再生産である。
断ち切らなくてはならない。だから「恋人に救われたい」ではなく、医療と福祉を頼るべきなのだ。
最近毎年恒例の子供写真年賀状叩きを見ていて「友達が結婚したとたんに送ってき始めた、私を見下して嫌がらせをしている!」「近所のロリと噂の家の前に写真つき年賀状を落としてる」「送ってきた友達は切ってる」「シュレッダーにかけて燃やしてる」みたいなのを見て子供写真年賀状なんて昔から普通にあるもんだし、自分の独身時代も普通にほほえましく見てたのに最近の人は恐いなぁと見ながら、ふと思い出した話。
昔の職場に気のいい爺さんが居たんだが、上の娘が40代独身、下の娘が30半ば子無しで出戻ってきてからというもの愚痴が増えた。
「近所の爺さんが孫が可愛くてたまらんと自慢ばっか言う何て嫌味な奴だ!!」「孫って曲を聴くたびに腹が立って仕方がない!!」
いとこが72歳って増田は何歳なんだ…