見たい人だけに見せてれば、セクハラにならない。
じゃあアフリカの飢餓に苦しむ貧困民、戦争で子供が銃を持つような写真って、いくつかあるでしょう。
あれ、写真に撮った人からすれば同じようなもんでしょ。外国人の、写真撮影していいか許可したかどうかもわからないような写真、そういうのがピューリッツァー賞やらいろんな賞を受賞する。
みなさんは311で凄惨な景色となった東北の写真をいろんなメディアを通して見てきたはずですね。当然人が被写体であるものも含めてです。
彼らは撮られていい気がしたでしょうか?そもそも許可を取っていない可能性だってある。
報道には報道の暴力性の問題があるけど、タイのセックスワーカーの盗撮に報道としての価値があるのだとは誰も言っていないのだから、「報道なら許される」というのは芸術に対する擁護にはならない。
ここで、謎の「みなさん」がなんの説明もなく登場。
みなさんがアートとは認めたがらない彼の作品集「そこにすわろうとおもう」はしっかりパリ・フォトの最終選考作品にまでノミネートされてるわけですね。つまり、写真を芸術的に捉える人々からある程度のお墨付きはもらってるわけだ。
「みなさん」じゃなくて、「そこにすわろうとおもう」をアートとは認めたがらない人に対して、「そこにすわろうとおもう」がアートだと反論したいなら、その事実は使えるかもね。
芸術ってさ、よくセックスだとかゲイの写真とかチンコの彫像とかいろいろ作ってんじゃん。 あれさ、芸術とかいうけど見る人にとっては当然セクハラになるよね。 で、今回の反応見...
あれさ、芸術とかいうけど見る人にとっては当然セクハラになるよね。 見たい人だけに見せてれば、セクハラにならない。 じゃあアフリカの飢餓に苦しむ貧困民、戦争で子供が...
日本人にとってはってなんだよ。 欧米人はみんなあれが芸術だと思ってんのか? 日本人だって欧米人だって95%は「きたねーな、セックスを題材にしてインパクトがあればなんでも芸術か...
何が言いたいのかな? 「欧米人の5%はそういう写真集を芸術として評価する写真家連中だ」と言いたいのかな?