学生時代のサークル仲間の結婚パーティで、昔の恋人・ヨシノに会った。
ヨシノと私は当時「夫婦」と揶揄されるような公認カップルで、趣味も気も合う同士だった。彼は今、後輩のシマちゃんと付き合っている。
大学を出て数年、私と別れて数か月で始まった彼らの交際は、もう七年ほどになる。
私はそれが嫌だったけれど、ヨシノは理屈のつかない「嫌だ」に配慮するタイプではなく、シマちゃんのことは当時、私たちの地雷みたいなものだった。
だから一時期、私は自分が彼らの地雷になればいいと思ってよくヨシノと遊んだ。
趣味のイベントに誘って食事して、相談に乗ったり乗られたり。もともと気が合う同士だから、ヨシノと遊ぶのは楽しかった。結局私が地雷になったのかはわからない。
それもかなり前の話で、私には今一緒に暮らす婚約者がいる。ヨシノとも友達の結婚パーティくらいでしか顔を合わせることはない。
結婚パーティはそのまま飲み屋に流れ、そこでは結婚がらみの話に花が咲いた。
「まあ考えなくはないけどね、彼女の部屋の更新が来年だからさ」とヨシノが笑う。
ああ、と皆が曖昧に納得する。シマちゃんはちょっと離れた席で別の友達と飲んでいる。
私は日本酒を自分のお猪口に注ぐ。増田、手酌はやめなさいって。ヨシノが私の手から徳利を奪い酌をする。
あの頃、ヨシノはいつもすすけたアキバ系ファッションでデートに現れた。私は自分のおしゃれを台無しにされた気がして少しがっかりした。
がっかりしながら、ヨシノの美徳はそこにはない、そういう俗っぽさに囚われないから素敵なんだと自分に言い聞かせていた。
私たちが別れる直前、ヨシノは仕事で使うかもしれないからと車の免許を取ろうとしていた。親からお金も借りていた。
でもヨシノは自動車学校に通わなくなった。私とのデートの最中に「時間がなくて通えない」とこぼした。じゃあデートじゃなくて講習行けよと私は苛立った。
ヨシノにがっかりして苛立つたびに、自分の俗物さが透けて見えるようで嫌だった。
ヨシノは話が面白くて頭の回転が速く、人望もあって皆に頼りにされて、サークルでの活動のセンスもあった。
彼がサークルでの活動を生業にしたから余計に、自分のほうが俗世側みたいに思えた。だからシマちゃんに負けた気がした。
ヨシノの身勝手に、シマちゃんも苛立ってがっかりすればいいのにと思ってた。
ヨシノは今も実家暮らしで、車の免許は結局取らず、すすけたアキバ系ファッションを着ている。仕事はそこそこ順調らしい。
好きなことには全力で取り組み、人当りもよくてマメで努力家。でもそれ以外にはまったく無頓着。それを私は美徳だと思っていたし、今でもそう思っている。
ヨシノは自分の価値観が強い。そして世間体を内面化しない。頭はいいから世間体に合わせた言動はできるけれど、最終的に自分の価値観に合わないことはしない。
三十前に実家を出ようとか、二十代の大半を一緒に過ごしたシマちゃんへの責任とか、今までも口にこそすれ行動は伴わなかった。
シマちゃんのお母さんが亡くなったときも、お父さんが引退して東京から田舎に移住したときも、ヨシノは同棲や結婚に向けて動かなかった。
そんな人が部屋の更新くらいで本気で動くだろうか。
十一時半を過ぎて私が帰ると言うと、ヨシノは「じゃあ俺も」と席を立った。シマちゃんには何の言葉もかけなかった。
深夜に昔の彼女と同じタイミングで勝手に帰るなんて、私だったら傷付くし嫌だな。
でも世の中にはそういう配慮を必要としない人もたぶん、いる。シマちゃんはそういう人なんだと、今の私は信じることにしている。
話題は次から次へと湧き出して楽しかったけれど、早く家に帰って婚約者の顔を見たいなあと考えていた。
私のおしゃれに合わせて服を選んでくれて、結婚式や結婚生活にほどよく夢を持っていて、世間体を年相応に内面化している、私と一緒に俗世を生きてくれる人に。
なんでもいいけどフツーに書けよ、字が小さくなって読みにくいんだよ。
なんとか支障なく日常生活を送れているクチ。
自分の場合は、特定の行から始まる単語を発音することが苦手だった。
周りに自分の癖を悟られないような工夫を身につけた。
こういう感じ。
そういう、別の語彙で言い換える癖がつくと、
しばらくは「年不相応に難しいことばを使う、学者ぶったやつ」とレッテルを貼られることがあった。
でも、自分のそういう癖をあからさまに晒してしまうのが嫌だったので、割り切ってスルーした。
逆に、人が書いてきた文章で難しい言い回しを易しい言い回しに変えるよう指摘できる力が身についていたことに気づいた。
今は、作文を手直しする場面なんかで、これまで積み重ねてきた知識を重宝しているよ。
もうだいぶ昔の話だけれども、俺がまだハタチになったばかりのころ調子にのってお高いバーをあちこちめぐるようになった。
きちっとスーツを着こむ。ホストっぽくならない程度に。でもちょっとだけブランドものをいれたりする。そしてなにより時間が重要だ。デパート勤めのお姉さんたちが仕事を終えてバーに顔を出すのがだいたい夜10時ごろ。ころ合いだ。
お姉さんたちよりも年上のフリをするつもりはなく、いかにもハタチちょいですって顔をしながら横空いてますかって言う。相手がおっさんじゃないと見ると、結構気を許して相手してくれる。
その日もいつものように新しいバーを開拓していると、ものすごい美女がいた。ロシアや北欧のほうの血が入ってそうなハーフ、それともクォーターかな? ドレスとかそんな気取った格好じゃなくて仕立てのよさそうなブラウスにリーバイス、靴はたぶんJ.M.ウェストンのローファー、腰まで伸びた金髪がバーの暗がりでものすごく目立つ。
これは声かけないと一生損するだろって思い切って声をかけると、「いいけど?」って言われる。
「いいけど、じゃあ、そうね。あたしの奢りを飲めたらね」
「もちろんですよ」
マスターがカクテルを作りはじめる。強いお酒で酔わそうって魂胆だ。俺が彼女に話をしようとすると、人差し指を唇にあてて待てのポーズ。完璧すぎる。
「両手を握って親指出して」
「え? あ、はい」
「? こうですか?」
「そうそう」
そう言ってマスターから受け取ったマティーニを両親指の上に置く。え? ちょっとちょっと。
「あたしの奢りを飲めたらね」
俺がマスターに助けを求めると「彼女のいつもの手なんですよ」って言われる。ってか、これどうすんの?
その人とはそれっきりなんだけど、最近のバーじゃどんな美人もそうでない女性も声をかけると「だめよーだめだめ」って言う。そしてだいたいOKの意味だったりする。まあいいっちゃいいけどね。なんかね。
なんかこの前ここで書いたダイアリーが400はてブとかついてすごいビックリした増田だよ。
お陰ではてブしてもらった日はいろんな人に見てもらえたみたいで
1日で12,000PVくらいいったんだけど、次の日から順当にPVは下がり続けて
今は1日1000PVくらいをうろうろしてる弱小エロサイトになった。
あれからPHP書いたりWordPress更新したりってちょくちょくやってるんだけど、
PHPってなんであんなむずいんだよ。ふざけんな。アドバイスしろくださいおまいら。
いろいろ改善してみたり、失敗したりした。
こんなめんどくさがりな俺でも続けていけるものが見つかるなんて
まずこれ。これはなかなか成功したんじゃないかと思う。
といってもテーマファイルを差し替えて、自分で少しHTML/CSSいじった程度なんだけど。
iPhoneからみてもPCから見てもそれなりな感じになったのでとりあえずこれで満足。
プロからみたらダメなところたくさんあるかもしれないけど妥協しとく。
うん、まともに変わったところといえばこれくらいか。
SEOについて調べていくとどうやらエロサイトは検索流入と同じくらい
アクセストレードってのが大事らしい。性質上ソーシャルからの流入はあまり見込めないから当然か。
なのでよくわからんけど主要っぽいアンテナサイトに相互RSS登録した。
いまのところあんまアクセス流れてこない。どうなってんだよアンテナどころか圏外じゃねーか。
そんでこれが本題。
やっぱり記事の更新作業がくそだるい。ニートなのでラクをしたい。そのためなら勉強する。
やりたいことってのはまとまってるんだけどそれを実現するためのソースコードが思い浮かばない。
Simple HTML DOM Parserってのを使えばいいってところまではわかった。
・指定のサイト、もしくはXVIDEOSから新着のサムネイルとXVIDEOS埋め込みタグを拾ってくる。
・それをデータベースに登録する。(この時にWordPressには下書きの状態で投稿されると最高)
・6時間おきとかに1日4回くらい実行する。
こんなことがしたいんだけどもうわけわかめ。
さらにそれぞれに紐づく下層ページにある埋め込み動画タグをスクレイピングするってのがわからない。
ここで書くのは間違いかもしれないけど教えてエロい人。
いい感じのタイトルを自動でつけてくれるとかいう神プログラムを組みたい。
ヤフーが提供してるAPIで形態素解析なんちゃらとかいうのを使えばできそうだなーとか思ったけど、
あまりに光の見えないトンネルに突っ込みそうだったからこれはまた今度。
ってことで整理するために書き起こしてみたけど
PHP,MySQLあたりの勉強をもっと頑張ればうまくいくのかな。
他のエロサイトがどうやってスクレイピングしてるのかまじで知りたい。
やっぱりRuby on Railsとかでスクレイピングしたほうがラクなのかな。
あーなにか目標持ってこんなに1日中ひとつのことに没頭してるの何年ぶりだろ。
いまの愚行権の話題ってさ
國府田マリ子のすばらしさを語って「國府田マリ子を称えるBeeメイツになろう!」ってシメて
「Beeメイツはそうじゃねえだろ」って総ツッコミ食らってるように見えるんだよね。
分かり難いか。
まずね、id:netcraftさんは謝った方が良い。
「愚行権」という単語で定義される概念は、ジョン・スチュアート・ミルの「自由論(1859年)」にあって、
それなりに一般的な学術用語として、その歴史的な経緯を踏まえて定義付けがなされている。
だから、いかにキャッチーであろうとも、自分の表現したいことを「愚行権」とラベリングした時点で、
「オマエの言う愚行権は、ミルの定義とは違うし無知乙」と言われるのがオチで、学術的にも混乱を招くので良くない。
原則の第一は、個々人は、その行動が自分自身以外のだれの利害とも関わらないかぎり、自分の行動について社会にたいし責任がないということです。他の人たちが自分の利益のためには必要と考えてなす、忠告、指図、説得、忌避は、社会が彼の行為にたいする嫌悪や非難を正当に表現できる唯一の手段なのです。第二には、他人の利害を侵害するような行為については、個人に責任があり、もし社会がその防衛のためには社会的処罰や法的処罰が必要だという見解をもつなら、そのどちらかの処罰に服すだろうということです。
他人が、忠告、指図、説得、忌避をするのは、嫌悪や非難を正当に表現できる唯一の手段としてる。
(ミルは結構過激で、飲酒が原因での暴行前科があれば、飲酒に対しての予防的な制限は適法とまで書いてる)
だから、netcraftさんが主張したいコトのために「愚行権」という単語を使うのは、全くもって間違っている。
netcraftさんが主張したいことって、ダイバーシティ・マネジメントの概念に近いことなんじゃないの?
Twitterがバカ発見器と言われるように、私達はソーシャルメディアを通じて毎日全国や全世界の馬鹿を発見しては、イナゴのように食い散らかして消費する。
このエントリで言わんとしていることは、「愚かなことを表現しても、他人から、忠告、指図、説得、忌避、嫌悪や非難の表現をされないこと」じゃないの?
このままでは混乱を招くので、ここでは仮に「愚表権」とするな。
この場合、1番目まではアグリーな人間であっても、2番目はノーセンキューだったりするだろう。
そりゃそうだろう。今だって認められてる。
他人に害を及ぼさない限り、例え「他人から見て」愚かでも、現在だって自由に行える。
(その人が子供だったり、錯乱していたり、興奮したり上の空で、よく思案する能力が十分使えないというのでなければ)危険の警告を受ければ十分で、危険に身を曝すことを無理矢理防ぐ必要はないと思います。
ミルは少なくともそう言っているし、現状でも限りなくそれに近いことになっている。
ただ、ミルは自己責任で、自分が犠牲になっても良しとせよと言っているけど、実際には警察や消防等のリソース(つまり税金)が投入されてる。
だから、「自分自身以外のだれの利害とも関わらない」については、ある程度予想できることについては予防的に禁止されてる。
この線引きに文句を言いたいわけじゃなかろう。
netcraftさんが主張したいことってこっちじゃないの?
たぶん一番近い表現は、the right to diversityだけど、より広い概念だと思うんだよ。
肌の色、国籍、宗教、性別、趣味で差別されるべきでない、許容すべきだって言うのは、その通りで、ダイバーシティーなんて単語が使われてる。
例えば、「私はキリスト教徒です」というだけで、会社での昇進が遅れたり排除されるのは、正義ではない、と今の社会はされている。
「オマエはアイヌであることを止めないんだから、自己責任の基、ネットイナゴや政治家からのヘイトも受容すべきだ」とはならないだろう?
(それがアグリーな社会もあり得るが、現代日本ではそれは政治的には正しくない態度とされている)
この、「趣味」の部分に、極端な性癖であるとか、「刑事罰に至らないような行為」を入れて欲しいって事じゃないのかい?
俺が愚行権の話を読んで真っ先に思い出したのは、NHKの「ドキュメント72時間、トランクルーム もうひとつの秘密の部屋」なんだよね。
取材されていた人達は、それが他人には理解されないと痛々しいほどに理解していた。ただ、そっとしておいて欲しいと願いながら。
趣味嗜好で、バレたら後ろ指をさされながら生きていかなきゃいけないって、やっぱり間違ってると思うんだよね。
今までは、勝ち取ってこないと権利は得られなかった。
レインボーフラッグ振って、主張して主張してやっと、「居て良い」レベル。
アナと雪の女王だって、どうみてもカミングアウト後の家族との和解の物語だろ。
他人から、誰に迷惑をかけるわけでもない趣味に対して、忠告、指図、説得、忌避、嫌悪や非難の表現をされる。
ある程度以上定義付けがなされた単語を使うときは、注意しよう。
「刑事罰に至らないような行為」を許容して欲しいという主張は判る。が、それを愚行権とは呼ばない。
ネット上での愚かな行為を、ムスリムを見つけては過激なメンション飛ばさないのと同じで、尊重しようっていう主張は判る。
netcraftさんの主張とは違うが、放置権みたいな「叩くのではなく、そっ閉じ」される権利は、確立されて欲しいと思う。
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John Stuart Mill : On Liberty (4th ed.1869 [Originally published in 1859])の日本語訳である
自由について、ジョン・スチュアート・ミル:著、永江良一:訳 http://page.freett.com/rionag/mill_js/lib.html より行った
rebuid.fm聞いてたらiPhone6がでかいって話になって、昔もiPhoneはデカかったけどそれが当たり前になったし・・・みたいな話をしてたけど、昔はそんなにでかくはなかったよな。
日本にiPhoneが入ってきたころのガラケーなんてすごい大型化していて、折りたたんだ状態でも厚みも高さもiPhoneより大きくて横幅がわずかにiPhoneのほうが大きかったくらい。
新しい職場に行く度に言われる。
最初は真面目でしっかり働く人だと言われるんだけど、
時期が経つと、「真面目にやってくれてるんだけど、
本気度が伝わってこないんだよな。」と必ず言われる。
「アルバイトとしては優秀なんだけど、正社員や社会人としてはダメだね。」なんて言われる。
本気って何?
よくわからんけどジャガイモが大量にあるのでノンオイルノンフライノンソルトポテチを主食にしてみる。
加熱時間を短くして、柔軟性のある状態にして、箸でサラダと一緒に食べる。
意外といけるなこれ
(原文)
会えることがわかった、そのとき。
初めて向かい合った、その日。
思いを重ねて、身を沈めようとするそのとき。
いつもとは違う自分になれるような気がすること。
それでいて、胸の高鳴りをどこかで抑えていること。
(翻訳)
そして、初めて「のぞみ」に乗り込んだ日。
普段はなかなか「のぞみ」には乗れないからこそ、様子をじっくり見ておきたい。
「のぞみ」の外観や客室の雰囲気をひととおり確かめて、自分の座席に座ろうとしたときに、どんな感情をもよおしたのでしょうか。
大好きな「のぞみ」に乗れるのでいつになく気分が高揚していたこと。
それでいて、「のぞみ」に乗れる喜びを心のなかで大切にしまっておきたかったこと。
内容については伏せておくが、話の内容も結構面白く、また主役のキャラクターを演じる女性声優の演技力も相まって非常に魅力的な作品であった。
しかし例の深夜アニメは、政権や経営者団体の意向を伝えるためのプロパガンダという側面の強い作品であった。
例の深夜アニメの具体的内容は伏せておくとは先述したが、作品を読み解くためのキーワードとして「生きづらさ」と「自己責任」の2つがある。
「生きづらさ」に関してだが、主人公は人間関係などに困難という「生きづらさ」を抱えている存在として描かれていた。
もちろん人間関係に困難を抱えた主人公は古今東西多くの作品に登場し、またプロパガンダ目的以外の作品にも「生きづらさ」を抱えている主人公が登場することも多い。
従って、「生きづらさ」だけを以てプロパガンダと認定するのは乱暴である。
もう一つのキーワード「自己責任」についてだが、例の深夜アニメは主人公が抱える「生きづらさ」を嘲笑する作風であるように感じられた。
また、話の内容も「生きづらさ」の根源を徹底的に自己のパーソナリティに求めるものである。
これらを踏まえると「生きづらいのはそれを感じるあなたが悪いのです。社会や制度は何も悪くありません。だから自分を変えてね。」という自己責任イデオロギーが例の深夜アニメの底流を流れているといえよう。
さて、例の深夜アニメは「経営者団体の機関紙」と揶揄される大手新聞社と資本関係を結ぶ放送局が制作に関与していた。
また、
・「経営者団体の機関紙」は社会保障のスリム化と自己責任イデオロギーの吹聴を主張として行っている
このの3点を踏まえると、政権や経営者団体の意向が例の深夜アニメにも反映され、結果政権や経営者団体のプロパガンダとして例の深夜アニメは制作・放送されたということが推測される。
一見魅力的な話もキャラクターも、実は政権や経営者団体の意向を視聴者にインプリンティングさせ、思想を誘導させるための装置の一つでしかなかった。
作品の政治性という物語の根幹に目を向けようともせず「キャラクターが魅力的だから」「話がおもしろいから」という枝葉末節に眩惑され、
あまつさえ映像ソフトやキャラクターの人形、出演者の声優が登場するラジオCDなどを嬉々として購った、己の軽佻浮薄さと愚鈍さに慄然とした。
そして過日、アニメの映像ソフトや人形、女性声優が登場するラジオCDなどを全部処分した。
ただ例の深夜アニメ以外にも、政権や経営者団体のみならず、右左問わず様々な政治団体やロビイストのエージェントが、テレビや漫画、小説、ポピュラー音楽、映画といった
ポピュラー文化を通じ人々を特定イデオロギーに染め上げようとしていることは容易に想像される。
もちろん接触者が全員特定イデオロギーに染め上がるといった、皮下注射モデルが妥当であるとは思えない。
しかし例の深夜アニメのように魅力的なキャラクターやプロットで人々を眩惑し、徐々に思想やイデオロギーをインプリンティングさせることは十二分に考えられる。
これを踏まえ、今後はテレビや漫画、小説、ポピュラー音楽、映画といった娯楽にはなるだけ目を向けないように心がけていきたい。
勿論「だからあなたたちも娯楽には目を向けないでね」と言いたいわけではないし、思想やイデオロギーを読み解いたうえでいったんそれを相対化できるなら娯楽を楽しむのもありだろう。
ただ枝葉末節に幻惑され、思想やイデオロギーに目が向かなかった己の愚鈍さを鑑みた場合、娯楽から遠ざかった方がベターだと判断しただけだ。
ついでに例の深夜アニメは映像ソフトも全く売れず、一部マニアから「爆死」と揶揄される作品である。
ちゃんと思想やイデオロギーを読み解いたうえで、一旦それを相対化できるリテラシーは多くの人に備わっているのかもしれないと安心した。
アラフォー増田だが、中学生の娘の思春期がなかなか始まらないのが段々心配になってきている。
例をざっと挙げると、
・俺のトランクスを短パン代わりに履く(しかし大きすぎるのでいつもずり下がってる)
・日頃敷きっぱなしにしている俺の布団で昼寝をする
・箸や食器の使い回しを全く気にしない
・人気の多い場所(ショッピングセンター等)でも構わず俺を大声で呼ぶ
・俺と同じ機種のスマートフォンを欲しがる
嫁がその辺を全く気にしてないのも大きな要因だとは思うが、そろそろ恥じらいを持って欲しい…
この商品、夏が終わったらスーパーから消えてしまったので、その思い出を語ってみたいと思う。
「頂」は、生麺風インスタントラーメンの一つ。ラ王とか正麺とかの類。
つけ麺なので、5分茹でて、水でしめて、お湯で希釈したスープに入れるという作り方がスタンダード。水でしめるのはめんどうくさい。
裏メニュー的な食べ方として、4分茹でて、温かいままたべるという食べ方も袋の裏に書かれている。
どちらかというと、裏メニューのホットで食べたほうがおいしいという不思議なインスタントラーメンだ。
茹で時間は、4分でも長すぎるので、最終的には3分30秒になった。
ちょっと冒険だったんだけど、麺をマルちゃんの「山岸一雄」監修つけ麺専用中華麺 4玉入に変えたら、激ウマ。
頂 魚介つけ麺味のスープだけほしいというよくわからない状況に陥った。
麺をアップグレードすると頂の麺が余る。麺をアップグレードしたほうが、はるかにうまい。このジレンマを抱えながら、頂 魚介つけ麺味がこの夏の我が家のインスタントラーメンの定番となった。
夏が終わった今、頂 魚介つけ麺味は、スーパーの店頭から消えてしまった。絶頂期で引退したアイドルのように。
晩節を汚すこともなく、最高のポテンシャルを見せ、彗星のごとくスーパーの店頭を駆け抜けた。
生麺風は生麺には勝てないという当たり前のようで当たり前でない教訓を与えてくれた頂 魚介つけ麺味。
我が家のインスタントラーメンの定番は、チャルメラに戻った。
結論から言うと、「動画さえ見なければ十分使える」というのが個人的な感想
それなりに形になったので、メモをしておこうと思う。
地域性があるようで、西のほうでは牛モツで、東のほうは豚モツが多いようだ。
たまねぎ 1個
にんにく 1かけら 芽は取る
しょうゆ 100ml
さとう 大さじ2
酒 100ml
これの分量は、しょっぱくなりすぎない安全な分量。この分量で煮て、味がうすければ、最後に少しずつ調整すること。
モツを水に入れて沸騰させ、一度、水を捨てる
3回くらい水をかえながら、すすぐ
これでかなりにおいが取れる
圧力釜に水とモツとにんにく入れて、1時間煮る。圧力釜の使い方は、圧がかかるまで強火、圧が安定したら最小の弱火。
1時間後に圧を抜く。時間があれば自然に時間がなければ減圧する。
材料がシンプルすぎるので、適宜追加していただくとさらに楽しめる。