2014-08-15

勘違い」で成り立つ日本仏教

私は田舎の寺の住職なんだけど、ようやくお盆のお参りがひと通り終わった。

毎年思うのだけど、お盆先祖供養のお参りなんてのは仏教じゃない。僕らは住職になる時にそういう勉強をしこたまする。

でも、一般の人は先祖供養が正しいお盆のあり方だと思って依頼される。僕らはそれで食べてる。

もちろん、全く矛盾していては話にならないからお盆のお参りが仏教大事なことであるかのようにいろんな理由が用意されている。

でもはっきり言ってしまえば、そんなのは全部後付の理屈しかない。

散々勉強しておきながら、実地では檀家の「勘違い」でメシを食べてるのが僕ら住職だ。

日本仏教ってこんなのばっかりだ。こういう膨大な「後付の理屈」で成り立ってるのがほとんどの宗派であり教団だと思う。

今日も汗拭きながら檀家周りをする坊さんとすれ違った。みんなどう思っているのかな。

  • 一般の人は先祖供養が正しいお盆のあり方だと思って 思ってない。親戚一同が集まる口実だと思ってるし なんだろう。多少制度疲弊しているけど、仏教はインターネットというものが...

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