一度は経験したかった海外での仕事に区切りがつき、日本に戻ることになった。
元々地元愛が強いのもあるが、地方都市大学、海外就職と地元を離れていたため、
慣れ親しんだ土地や友人のある地元にいつかは帰りたいと思っていた。
チェーン店が並ぶ国道沿いで必要十分な生活、田舎によくある車を趣味として、
今の仕事関係で転職をするとなると、東京や大阪といった都市に限定される。
正直、そんな大都市は苦手だし、生活するところではないと思う。
高校、大学卒業後に地元を出た人が、都市での生活に見切りをつけ、
地元に戻り始める中、それに逆行しているように見える。
可能性ゼロではなくとも、地元で就職・結婚というルートからは遠ざかっているのは確かで、
極僅かな友人しかいない大都市で、これからのライフイベントを迎えることができるのか。
結局、変な優越感やプライドが邪魔をして、今の職種から離れられないでいる。
違う違う
そもそも人間は、味方を殺すと罪悪感にさいなまれるけど、敵を殺しても何とも思わない生き物なんだ
だから「人を殺してはいけない」という道徳自体がウソなんだ。そんなルールはどこの人間社会にも無い
テンパってるからこそ、その人の素の人間性が出てるんだと思う。
うまく思ったように出来ない苛立ちを相手にぶつけたり、「そういうこともあるよね。いいよ、口でして」なんて自分だけ楽しもうとしてみたり
実際に私もそういう場面に出くわしたことあるけど、あぁこの人は自分勝手だなあって思ったよ。
うまくできなかった事の残念さより、パートナーを思いやる気持ちを感じられない事にガッカリした。
2人で旅行に行ったけど、当日は大雨で楽しみにしていた場所へ出かけられなくなってガッカリ。
計画通りに観光できないいらだちを相手にぶつけるか、それとも新しいプランを一緒に練って別の楽しみを見つけるか。
そういうことだと思うんだけど。
虫けら同然に人を殺してた王族とかそういうのはどうなるの?
論理的にはそれなりに教育を受けてるしその辺の庶民よりは賢かったと思うが。
バカなのかお前は、バカなのか?くだらんこと言ってないではたらけ
現場の改善みたいなのでさ、自分たちで考えて自分たちでなんとかしろよみたいな標語があるのよ。
人・物・金・時間がたりないのは甘えで、知恵を絞ってなんとかしろ。みたいなね。
でもそれってやるのって上層部というか経営陣というか所謂上の人がやることじゃない?
現場の人が現場を改善してさらに現場の仕事もやるなら上層部って何するの? 具体的に仕事なくない?
人生なんてこんなもんさ、なんて、そういう言い方をする大人たちを心底軽蔑してきたが、
いつのまにやら俺も大人になっていたみたいで、そういうのが死ぬほど嫌だ。
全部風俗に使ってやった。
嘘だとわかっても、演技だとわかっても、
金で買った売女が喘ぐのに興奮した。確かに興奮した。
けれども泣きながら腰を振る俺に、多くの売女は引いていた。
何人かの売女は俺の話を聞いてくれた。
それが人生だよなんて、わかったような口を聞かれて、腹が立って、
それでもどうしようもなくて、とりあえずその売女を抱いた。
死にたくなんか無い。働きたくないわけでもない。
けれど、このまま、俺は終わるのかな。
働く。
稼ぐ。
寝る。
起きる。
売女を抱く。
そういう風に、俺は死ぬのかな。
俺の人生は終わったのか。
唇、ほっぺた、舌など、口に大量に口内炎ができてる。
こんなの今までになくて、びっくりしてる。びっしりできてるってかんじ。
口内炎の原因ってなんだろうな。
ごはん食べれないくらいつらいんだけど、
みんなどうやって治してるんだろう。
あと、今後口内炎にならないためにはどうしたらいんだろう。
やっぱストレス?
現在、66ある増田発ブクマ1000越えエントリのうちのおよそ1割は僕の作品です。
そして、僕は今さっき組合に退会届を提出し、晴れてフリーの増田となりました。
客観的に確かなことを言えば、報酬の額に満足出来なくなったというだけです。
あとは僕の個人的事情と、彼らとの諍いがいくつか。例えば、一部の組合員たちが
「増田漁業組合」の存在を公然と語り始めたこと、そして弱腰な組合は存在の露見とこれまでの馴れ合い空間の消滅を恐れて
彼らを止めることさえしなかったこと。この危機に対して彼らが取った方策といえば、「どうせ釣りとしか思われないさ」と鸚鵡のように繰り返したのみです。
でも、そんなことはどうでもいいんです。
僕は、増田漁業組合組合員としてこれを最後の釣りとします。それにこの四年、僕は組合の中でも常に3指に入る結果を出してきました。
この些か子ども染みた悪ふざけは、その功績ある僕へのささやかな報酬であると考えて欲しいものです。
さて、問題はたった一つです。あなたは増田漁業組合の実在なんてもちろん信じていない。
つまるところ、66ある増田発ブクマ1000越えエントリの1割が僕の手によるものだとは信じていない。
そうじゃないですか?500程度の低ブクマエントリも含めれば、百に近い数の僕の作品が
はてなを彩っているという事実をあなたは信じられないんじゃないですか?
これもまた「釣り」であり、それも非常に質の低いものだと考えている。結構です。実に結構。
僕は7月30日、つまり明日の深夜12時きっかりにこの釣りを証明するエントリを投稿します。
楽しみにお待ちください。尚、僕はメールを見ませんし、携帯電話もつながりません。(是非試してみてください)
絶滅してもいいのかなあ
俺は食ってない
ニーメラーの詩みたいにさ
「うなぎが絶滅しそうなとき、私は声をあげなかった私はうなぎが好きではなかったから」
と来て最終的に
「鯖(俺の好物である)が絶滅しそうになった時私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
ってなったら嫌だから
まあ協力しようかなって気にもなってるんだけどさ
(そもそも3年に一回食ってたのがここ5年全く食わなくなったというだけだけど)
変な話だよね
メスはオスを食べることで僅かでも生きる時間が長くなるなら、食べた方が得なので捕食しようとするだろう。
オスはメスから逃げ切った方が得。というのは、オスはメスから逃げ切って別のメスとさらに交尾した方が多くの遺伝子を残せるから。
寿命が近くて弱ったオスだけが交尾後、メスに捕まって食べられているのではないかな? 交尾後のオスが必ずメスに捕まって食べられてる、というわけではないと思う。
なぜ人を殺してはいけないのかについて答えられる大人がほとんどいないという記事を読んだ
道徳的に、倫理的に人殺しはいけないことは当たり前なのだが人殺しについて考えることをしていくと「戦争では人殺しは正義」というものにいきつく
哲学の根本に容赦のない徹底さというものがあるが人殺しの正当性について状況によって異なるというのはこれ以上ないほど整合性がある
要は人は必要に応じては人を殺しても良いという「解」になるらしい
しかし人は人を殺すだけの理由を持った時、人を殺しても良い状況の時に人を殺しても良いという因数分解のような理論的な解にはどうしても違和感がある
なぜなら人は人を殺すだけの論理や計算式が成り立っていても計算式自体に罪悪感や自尊心や道徳心にこそ迷いを感じるからだ
人は必要に応じれば人を殺しても良いなどという答えなどどうでもいい
時系列的にはかなり前であるエヴァの二次創作が中心にあった時点で、既に変節の予感はあったのかなと。
良いとか悪いとかは言えないだろうけどね。