2014-07-12

親が離婚したけど大変

親が離婚したけど幸せ

http://anond.hatelabo.jp/20140711182356

エントリの子母親大事にされていて幸せそうで嬉しい限りだけど、不幸な子どもが増えないように離婚

失敗したであろう例も書いておこうと思う。

まず、私の家庭の場合も父親の浮気が原因になっている。とは言っても母はヒステリック持ちだったので

同情する気持ちもある。そのヒステリックも不満があるから起こるわけで、

とにかく家庭が全てにおいてうまく行っていなかった。お互い歩み寄ることは一切なかったし、

私は冷めた子供だったので一生懸命仲を取り持つようなことはあまりしなかった。

埋蔵金事件

そんな中起こったのが「埋蔵金事件である。父は歩合制の営業マンだったので収入は安定してなかったが、

それでも物がまだ売れる時代だったし、何より父は営業マンとして優秀だった。

その父の給料に低迷が続いており、「ひょっとすると埋蔵金があるのでは」と母と私は想像し、

父の車を調べに行ったのだった。

その時点で家族間に信頼関係の欠片もなく最悪だったが、更に最悪なことに実際に横領用の通帳が存在し、

父はその通帳から家の通帳に毎月入金していたのであった、なんというマメな男であろうか。

用途浮気のためであり、一緒に浮気用の携帯電話発見され、言い訳の余地はなかった。

言い訳の余地はなかったが、父は「彼女には早漏を指摘されて傷ついていた」などと

同情のしようもない謎の言い訳苦し紛れに言い放ち、当時中学生の私は「父親が早漏である」という

どうでもいい情報を得てしまうこととなる。

離婚

私は冷めた子供だったので「数え役満だな」と思い、両親の離婚を承諾した。

もちろん、両親が喧嘩をする機会が減るというだけで幸せになれる気がしたので、それが決定打になった。

公証役場養育費の金額と期間が書面で決定され、父は親権を失った。

直後の暮らし

父が居なくなったので母と父が喧嘩をすることは少なくなったし、

父が月に一度は直接会ってお金を渡すというのでたまに会って焼き肉を食べるのが楽しみになった。

しかし、しばらくすると母親の感心が私に向くようになってきた。

自体教育熱心ではなく、放任主義で休みにはどこかへ遊びに行く遊び人であったが、

私の勉強時間の少なさやコンピュータに触っている時間執拗に責めるようになっていた。

私は部屋に鍵を掛け、家にいるときは部屋に引きこもるようになった。

精神病院

私は昼夜逆転生活をしながらネットラジオオフ会で多くの人と交流を持つようになった。

心のよりどころを探していたのかもしれない。彼女ができて心の安寧は辛うじて保てているつもりだったが、

「死んだらどんなに楽だろう」という気持ちと「母親のことは絶対に許さないが、

自分の為だけにこの環境を絶対生き抜いてやる。」という気持ちをぐるぐる回していた。

私の何もかもが気に入らない母は「お前は頭がおかしい」と言い放ち、私を精神病院へ連れて行った。

精神病院へ連れて行かれるというショックは私の自尊心を大きく傷つけたが、

精神病院では先生が味方になってくれ、逆に母が通院を薦められた。私はそのことが嬉しすぎて、

逆に母に通院を薦めたが「お前なんて生まれてこなければよかった。」という辛辣言葉を頂いた。

出来婚で私を産んだくせに無責任な話である

散々揉めた末に「もうお互いに干渉しない」という約束で決着した。

父の失墜

ストレスから開放されたかに見えた父は仕事を転々とし、その日暮らしのような生活を始める。

もちろん養育費など払えるはずもなく、金を払えない言い訳をしに来るようになった。

ちゃんとお金を払ってくれるのであれば会いたいし楽しかったが、言い訳なんて聞きたくなかった。

支払いが滞っているので私が成人した今でも父は養育費を払えない言い訳をしている。

近況

同じ家に人が居ても話さなければ寂しいもので、私は猫を飼い始める。母は異常なほど猫を可愛がるようになった。

しばらくは猫に私の悪口を言っていたが、最近では愚痴以外に猫の話をするようになり、

私は彼女ができて心に余裕が生まれ、母との関係回復してきた。

中学高校時代は絶対に許さないと思ったものだが、もうとっくの昔に許せているのかもしれない。

書いて見返すと中学生から仕方がなかったのだけど、自分の幼さがわかる。

離婚して、家族が二人きりになった時に自分がどういう扱いをされるかは親によると思うし、

自分が親にどれだけ信頼されるかによる。また、慰謝料をちゃんと払ってもらえないと

泥沼になる(その気になれば給料を挿し押さえられるが)。

ちゃんと払ってもらえるかどうかは親によると思うし、自分がどれだけ可愛がられるかによる。

変化があった時に、自分適応できないようなら小さいこから変えていくほうがずっと良いように思う。

私がもっとかわいい子どもであることに努め、両親の仲を取り持っていればもっと幸せだったのではないかと

今でも思うし、人によっては荒んでいる時に思ったより動物に癒やされることも分かった。

家族不和に悩んでいる子は参考にして欲しいと思う。

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