鳥が飛び交う丘の上に、その精子場はある。
「昔はのう、カラスが精子の臭いに引きつけられて、もっとたくさん飛んどったがのう、少なくなったのう」
残念そうに呟く伊香栗男さんは御年94歳。
60年前まで、この精子場で働いていた。
「ほら、そこにベッドが並べてあるじゃろ。あそこで、500人以上の従業員が、毎日10回は精子を搾り取ったんじゃ」
「そうじゃ。なあに、大したことはあるまい。はじめは手でやっとたんじゃが、何年かしてホールっちゅうもんが導入されてのう、それからは楽ちんじゃったよ」
80年前、精子に水質浄化作用があることがアメリカで発見され、日本にも精子場建設の機運が高まっていたころ、満を持して誕生したのがここ鳥岡精子場である。
「残業」と呼ばれた時間外労働に加え、夏期・春期休暇も満足に取れなかったという、当時の劣悪な労働環境の象徴として有名な精子場であるが、果たした役割は大きかった。
「今じゃ、日夜働いていたわしらを哀れがるやつらが多いがのう、大変だった以上に、やりがいがあったんじゃ。自分の精子で、川が綺麗になり、魚はいきいきして、海の生物も元気に泳ぐ。そんな世の中を作っているのは自分たちだという自負があったのじゃ」
世界遺産に登録されることが決まり、多数の来場者でにぎわうこの丘を見渡すと、高齢者がほとんどで、小さな希望の光はわずかにしか見えない。
「子供が少なくなったのう。お前ら若い女が、もっとがんばらないといかん」
いい男がいません、と記者は反論する。
「うむ。それももっともじゃ。万能細胞による精子量産化が可能になってから、精子場は廃止され、日本の男どもは変わってしまった」
陽気な伊香さんが下を向くのは、この日初めてであった。
精子場の向こうから吹く生暖かい風が身をつつみ、丘の傍らを流れる小川のせせらぎが、切ない響きを伝えてくる。
「ちなみに、今もご健在なんですか?」
話頭を転じようと気を利かす記者に、
「ほっほっほっ」
と豪快に笑った伊香さんは、記者の尻をぽんっと叩き、空を仰ぐ。
清々しい青天に黒い羽を広げたカラスが二匹、日の光をあびながら心地よさそうに飛んでいた。
(2114年 5月4日)