この記事を読みました。
http://bokurasha.hatenablog.com/entry/2014/04/01/115953
「当然男子の方が自己肯定感が高かった」という部分に衝撃を受けました。
なぜなら生活満足度も幸福度も、男性より女性のほうが高いのです。
男性のほうが生きやすいというデータもあるので、大学生に限っては女性のほうが男性より自己肯定感が高いのかもしれません。
そうした現代女性の悩みの多くが対人関係であるのも、そのとおりなのでしょう。
しかし、自己肯定感が低いことは日本人全体の問題であって、女性特有の悩みではありません。
ぼくら社Blogさんは人材業界にいらっしゃるということですが、女性の割合が多い業界です。
もしかして女性労働者を監督する立場から、意識の高い考え方に縛られてはいないでしょうか。
「自己肯定感が低い」のは同調圧力が強くて生きづらいこと、また建前と本音が矛盾していることが原因です。
「先進国の女性らしく働きたい、けれど専業主婦にもなりたい。」
「男性に大切にされたいが、結婚前のパートナーとは気軽にお付き合いしたい。」
高度成長時代を経て女性の権利は法整備されましたが、男性同様に働きたいという人がいる一方で、女性らしく生きたいという人も多く、女性の意見がまとまらない現状があります。
ぼくら社Blogさんの考え方には、女性の教育に対する不公平感、それが良いことでも悪いことでもあるのに、女性だけが不利な立場にあるという思い込みがあるようです。
女の子、女らしく、良き妻、といった固定観念は、そのまま男性にも、男の子、男らしく、立派な夫、というように対称的に存在します。
「お母さんの愛情を過多に受け、お母さん大好きなマザコン男性がはびこる日本」というのは、不幸な男性もいることについては想像できなかったのでしょうか?
高度成長時代の母親が教育に迷っていたというのは、家族観の変化が激しい時代だったのでそのとおりです。
日本の教育が迷走しているのは「母親」に限ったことでも、被害者は「女性」に限定されたものでもありません。
娘や息子が未婚のままで、母親が人生を嘆くというのも、ごく自然な光景でもあります。
と嘆いているのは、娘の母親だけではありません。
男子は「勉強」か「スポーツ」どちらか頑張っていれば、競争社会に適応できると判断され、良しとされてきた、と書かれていますが、その反面、男性のほうが競争が激しい面もあるのです。
引きこもりやニートに男性が多いのは、そうした背景があるからです。
男性のほうが成功体験、安心体験に繋がり、「自己肯定感」という分野においては、傷を受けづらかったというのは読み間違えているのではないでしょうか。
母親が「男の子だからしょうがないわ。」とスルーできた場面があれば、「女の子だからしょうがないわ。」とスルーしていた場面もあったのです。
「母親から愛されていると感じたことが無い。」という女性が多いというのは同意しかねますが、上から目線で「それでも私たちはそろそろ、母親を許しませんか?」という提案で本当に幸せになれるのでしょうか?
家族というものは許す許さないに関係なく、続いていくものです。
母親の教育が間違っていたのだと被害を主張するのではなく、もっと身近な幸せにつながることを模索したほうが現実的だと思います。
「容姿に恵まれとても魅力的だったりする人」であろうと、そうでない人であろうと、男であろうと女であろうと最低限の幸せが得られる社会が望ましいはずです。