そこらじゅうで感動した感動したなんて言ってて
全くピンときてなかった
「スポーツで感動する」ということ
幼い頃からそれなりにスポーツはやってきたし、身近にやってる人もいたけれど
あんなシュート打てたら、あんなスケーティングができたら、というたらればの話。
憧れに近い「感動」だと思ってた。
眠たい中4時半まで起きてて、
一緒に緊張して、転倒して、絶望した。
終わったあとのインタビューを見ている間も、茫然自失だった。
彼女の辛すぎる現実は、オリンピックに「ゴラク」を求めていた私にとって、重すぎた。
そしてフリー。
普通の選手はこのスピン、このターンなのだ、と改めて気付かされた。
そのたびに昨日の浅田選手のSPがフラッシュバックし、私は自分の中で彼女をどんどん遠ざけていった。
そして、彼女は舞った。
険しい表情、緊張した表情はSPと変わらなかったが、
そこに気づいた時、私はスポーツで感動していた。
自分は自己投影すら諦めたけれど、彼女は諦めず、やりきったことに。
どんな時でも人間は、その先の未来に向けてベストを尽くすしかないということに。
そして、どんな時でも前を向く人間は、とても美しいということに。
誰でもそうあるべきだと、まさに感情が動いた瞬間だった。
2020年までにあと6年もある。