2014-02-22

スポーツで感動するということ

そこらじゅうで感動した感動したなんて言ってて

小泉純一郎流行語になった(っけ?)台詞を吐いていたけれど

全くピンときてなかった

スポーツで感動する」ということ


幼い頃からそれなりにスポーツはやってきたし、身近にやってる人もいたけれど

それで感動するのは「自己投影」だと思ってた

あんなシュート打てたら、あんなスケーティングができたら、というたらればの話。

憧れに近い「感動」だと思ってた。


先日の浅田真央選手SP

眠たい中4時半まで起きてて、

一緒に緊張して、転倒して、絶望した。

終わったあとのインタビューを見ている間も、茫然自失だった。


その後、自分もびっくりするくらい冷酷に、

私は「自己投影」の対象、あこがれの対象から彼女を外した。

彼女の辛すぎる現実は、オリンピックに「ゴラク」を求めていた私にとって、重すぎた。



そしてフリー

対象から外していても尚、リアルタイムで見た。

第一グループ選手の演技と、やる気のない乾いた実況。

普通選手はこのスピン、このターンなのだ、と改めて気付かされた。

日本選手は本当にすごいんだと。

第一グループ、第二グループ選手はよく転ぶ。

そのたびに昨日の浅田選手SPフラッシュバックし、私は自分の中で彼女をどんどん遠ざけていった。




そして、彼女は舞った。

険しい表情、緊張した表情はSPと変わらなかったが、

彼女がやりたい世界を完全に出し切った。

彼女フィギュアスポーツとして扱っているんだなと感じた。

芸術性は高いが、あくまでスポーツ

点数を獲得し、肉体の高みを目指す、スポーツなのだと。



そこに気づいた時、私はスポーツで感動していた。

自己投影」でも、「あこがれ」でもなく感動した。

自分が苦手なスポーツ世界で、

自分自己投影すら諦めたけれど、彼女は諦めず、やりきったことに。

どんな時でも人間は、その先の未来に向けてベストを尽くすしかないということに。

そして、どんな時でも前を向く人間は、とても美しいということに。

誰でもそうあるべきだと、まさに感情が動いた瞬間だった。

2020年までにあと6年もある。

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