私は小学生の頃、失禁をしては親に罰を受けていた。
普通はげんこつで済んだけれど、失禁が続くと倉庫に閉じ込められた。
冬の時期は特につらかった。当時東北に住んでたし。倉庫だから暖房なんてついてるはずもないし。
タイムリミットが分かるようにと、閉じ込められるとき一緒に渡される目覚まし時計の針の動きを励みに何とか耐えた。
そしたら母に"ちゃんと反省した?倉庫の中寒かったでしょ。ちゃんと温まってね"と言われた。 笑顔で。
"私はなんのために生きているんだろう"と初めて思ったのはその頃だっただろうか。
朝食時
目玉焼きに醤油をかけたら、"かけすぎなんじゃない?"と言われた。
それから目玉焼きに醤油をかけるときは親の目を見るようになった。
このような親に怒られそうなことはなんでも親の表情を意識するようになった。
でも、[怒られる=げんこつor倉庫に監禁] と小学生の私は認識していたから細かく注意を払う必要があった。
(なんでおとうさん、おかあさんに不審感を抱かなければならないの?失禁することってそんなに悪いこと?倉庫で一人反省しなさい、て言われたけど反省したからって治るの?ていうか反省って何?倉庫の中にいる間おとうさん、おかあさんが憎くてしょうがなかったよ?)
失禁を克服してから罰を受けることは無くなり、親への恐怖心は完全ではないが払拭された。
でも、信頼できない。
例えば、親からの質問にテキトーに答えたら案の定"ちゃんと答えなさい"と言われる。
私からしたら、なんで信頼できない人にきちんと答える必要があるのか、というのが本心であるが、
親子は信頼しあわなければならない、というイメージが、私が親にテキトーな振る舞いをするたびに何だかやるせない気持ちを与えた。
家族なんだから信頼しなければならない、というイメージと親を信頼したくない気持ちで葛藤した。
そこで私は親を他人と思うようにした。
そしたら気分がよくなった。
テキトーな振る舞いをしても問題ない。
"親は私を子だと思っていないから私が親を親と思わないのも当然だ"
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ここまで前振りです。以下本題。
本当は最後かっこつけて終わる予定だったんですけど、復讐心が芽生えてきました
罪に問われない程度で笑