2014-02-04

気づいてしまった

職場に26歳で仕事ものすごくできる女性がいる。その人と話す時に、心に何が凶暴な思いが湧き上がるのを不思議に感じていた。自分じゃない人が自分の心の中で彼女を口汚くののしるのを何回も聞いた。

今日、その原因が唐突にわかった。

彼女が年下で仕事ができて女性から、私の中の、傷つきやすく、プライドが高くて、面倒くさがりで、ちやほやされたがりの芯の人格が上げる声だったのだ。私の心の底には、そんな人格が潜んでいることに気付いたというか、思い出した。

昔はこいつと上手くやってきた。と思う。ところがここ3年ほどはうまく行っていない。注意をされるとその人に「死ね」と言葉を投げかけ、上司と話すと同じように「死ね」といい、自分より年下で仕事ができる人を見るとそれはもう口汚くののしる。それが女性ならさらに叩く。そして自分は面倒で、何もせず、それでも何でもできると思っており、でも何もできないと気付かされることを恐れて、髙い高いプライドを持ち、ちやほやされるのを望んで望んで飢えている。毎日毎日嫉妬かられ何かを成そうと行動してはすぐに飽きることを繰り返す。そしてやればできるとプライドだけは必死に守る。女が、俺より若い奴が俺より仕事ができるはずがないと思い込む。なんの裏付けもなく自分自分でほめたたえ続けている。自分を傷つけそうなすべてものから逃げることだけを考えているというのに。

この文章を衝動的に書いた。気づいたことを言葉にすることで、その芯の、真の自分を手なづけようとするためだ。自分の中にこんな自分がいることを恥ずかしく思う。私は、年齢も性別も、仕事ができるできないなんてことを気にせずに、ただただ生きていたいのに、いつの間にかこんな奴が自分の中に居た。そのことに悲しみを感じてやまない。

そして、こういうことを文章にする自分にすら特権を感じてしま自分が嫌だ。もっともっと平坦に、起伏なく、できないことをあきらめて、できることをやって生きていきたいと望んでいるはずなのだ。この自分の中の怪物はいつか倒せるのだろうか。いなくなるのだろうか。

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