2014-01-23

婆さんがもうすぐ死ぬらしい

婆さんが残り数週間で死ぬと聞かされてからそろそろ一週間経つ。もう嫌だなあ辛いなあと思いながらようやく言葉にできるくらいには頭の中が整理されてきたような気がする。

少し一週間前を思い出すと、小説ネタになるかなあとか一瞬考えてしまうのが嫌だったし、礼服を買ったりするのも死ぬのを受け入れてしまうみたいで嫌だった。色々と嫌な事ばかりで、どちらの方向に考えても嫌なことばかり立ち塞がっててもうわけがからなくなってた。さすがに礼服は買ったけどさ。残り数週間なんて言われるとな。最初はふっと気が抜けたみたいになって、段々と気分が沈んでった。癌でやばいかもなんて前に聞いたときは「ああ、そうなの」なんて反応だったのに、死ぬのが確定すると悲しくなるなんてなんというか都合が良いなあ。

残り数週間でいつ死ぬのかわからない状況というのがほんと辛い。いっそ死んでしまってから知りたかったというのは、もやもや暗い感情が常に自分へつきまとってるような感覚があるからだな。それで、死ぬのがいつになるかによって予定を調整しなきゃいけないなあとか考えるのも婆さんに申し訳ないなあと思う。だから考えなきゃいけないのに、深く思考することはできないという。よくわからない。ついでに何事に対する気力も奪われていく。だけどそれでもどうにも小説は書く気になるというのは不純だなあ。

癌というのが辛いんだよ。割かし元気なほうだったし、それが病気死ぬというのがわからない。真っ当に老衰死ぬと思っていたから。病気死ぬというのはやっぱ真っ当じゃないよな。真っ当じゃないよ。親族死ぬという体験も俺にとってほとんど初めてなのに。癌ってさ。正直、余命幾日なんていう制度というか状況が現実で起こるなんて知らなかった。なんなんだろうね。なんでそんなことわかるんだろう。

しかしそう、悲しいってだけじゃなくて、辛いんだよな。俺が仕事したり漫画読んだり酒飲んだりしてる間も向こうは癌なわけでしょ。申し訳ないよな。痛いんだろうか苦しいんだろうかとか考えてしまう。ああもう本当にこんな感覚から早く解放されたいと思いはするけど、それは婆さんが死んだ時だし。地獄ってほど地獄じゃないけど、考えれば考えるほど深みにはまってく感じがあるから、結局はこのことについて考えないってのが一番の解決策なんだろうけど、やっぱそれも申し訳ない。大体、婆さんに電話とかしなくて良いんだろうか。いま会話しなけりゃ永遠に会話できないわけだし。でも向こうは俺に突然電話されてどう思うかとかさ。これまで全然連絡なんてしなかったくせに、もうすぐ死ぬからって電話するのは、それはどうなの。と思う。自分以外の人間がどう考えるかなんてよくわからないし。向こうはそんなに深くは考えないんでしょうか。正月には会いに行ったけど、それでよしとするというのは。そもそも「よしとする」という感覚自体がひどいんじゃないのかとも思う。もう、なんなんだこれは。どうすればいいんだよ。ずっと泣けなかったけど何かこれ書いててようやく泣けてきた。こんなこと相談する友人いないし。何もせずともそのうち勝手に終わる話ではあるんだけど。でもそれは嫌だなあ。なんなんだろうなあ。孝行しとくべきだったんだろうな。孝行しとくべきだったと思う。こういう事があるから駄目なんだろう。みんなこまめに親には会っとけって言うんだろうな。どうすりゃいいんだろう。

  • 長くて読む気になれないので、タイトルだけでコメントすると 人が死ぬ時はガンガン会っとけ 毎日でも会っとけ そうじゃないと後悔する

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