それをちょっと頭が回るからといって、妙な言い回しと見栄で論理で表現している人や場面が少なくない。
なぜなら、論理が解決できるのは論理だけであり、感情は解決できないものだから。
そして感情を前提にしないという暗黙のルールの元で、論理的なやり取りというものが成立する。
生死をかけた人は、ボクシングのリングで手だけで戦うだろうか?
論理は感情面から見れば、「論理がなんぼのもんじゃい」で終わる、大変もろい砂上の楼閣、はかない遊びなのである。
大の大人が一生懸命すがってやっているから、かっこよく見える。
なに言ってんだこの低能 と思ったが 論理は感情面から見れば、「論理がなんぼのもんじゃい」で終わる、大変もろい砂上の楼閣、はかない遊びなのである。 一応わかってんじゃねえ...