2013-12-14

http://anond.hatelabo.jp/20131214014345

多分だけど、「現場にいれば、攻撃の直前に誤りに気付いて止めることができたろうに!」という感覚なんだと思う。実際には、たとえば現代爆撃機パイロットレーダーその他各種の機器を使って得ている周囲認識と、無人機ナビゲーター機器から得ている周囲認識に、今や大した違いなどないんだろう(想像だけで喋ってるけど)。けど、現場に足を運んでいれば、何か違和感とか感覚できるはずだ、という、第二次大戦時くらいの感覚で、人は騒いでいるんじゃないかな。そういう兵器進化というのは、よく分からない人には漠然と「怖い」ことであって、無人機による誤爆というのはまさにその「恐怖」をヒットしている、というのが一つ思ったこと。

要するに、戦争をめぐる事態は、とっくに個々人の感覚など越えてアンコントローラブルなものなっちゃってるんだけど。でも、それがこうして露わになったときだけみんな過剰とも言える反応をするのは、うすうす気付いていながら向き合うことを避けているその薄ら寒い状況に、否応なしに向き合わされるからなんだろうと思う。この過剰反応を、仮に言葉で説明するとすると、『どう考えても事態はアンコントローラブルに思えるんだが、自分の知らない誰か偉い人がきっと上手にコントロールしているに違いない、と思って自分安心させていたら、実はそうではなかったことが明らかになって、当惑している』という感じなのではないか

と、ここまで書いて思ったんだけど、これってつまり原発事故をめぐる一連の反応(そして、ある程度理解していた人からクールな反応との落差)と、構造としては似たような感じなのじゃないかな。

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