なんで結論先に書けないの」?もしかして考えながら書いてるの?
それにしてももう少し先のことわからないの?
あんたの理解力がしょぼくて深い話できなかったみたいだね。
メール出しても反応が鈍いからどうでもよくなってます、はっきりいって。
遠まわしにいろいろ期待されてもうざいだけですよ。
あなたみたいな人、すごく多いんだ。
昔ばなしはやめてくれませんか
うるさい。爺の昔ばなしうざすぎ
開始40分経ったころにゴソゴソ席を探して歩き回る奴がいたらカップ投げつけたくなると思う
なんか予想通りの反応に笑えた。一日経って少し気が晴れた。まだ泣けてくるけど。はてなのみなさんありがとね。もとの記事は消しました。おれ、がんばれ。いつかどこかで別の人を好きになるとか今は考えられないけど。あの子もどこかで別の人と幸せになってほしい。
そもそもの経緯は、
→予定時刻を10分過ぎて駅へ
→電車遅れる
→乗り換えの電車も遅れる
→開始40分で到着
→「上映から30分を過ぎたら入場できません」
→「はあ!?」
→「知らんし」
→どーせガラガラやろうが
→なんて日だ…
→クソが 帰る
→のも癪なのでいちお他なにやってるかみるか
→あと1時間ねえ
→刑事ドラマかどうかも定かじゃないけどw
→話題やしみてみっか
→腹減ったし回転寿司でもいくべ
→うまい
→機嫌なおる
→始まる前にトイレでも行っとくか
→こいつが紙兎か。初めてみた
→今度トリックやるんだ
→この国はナショナリズムに傾倒してくのかなー
→やな感じだなー
ってかんじ
「話す相手も居ない段階で勉強しても意味ないしなあ」と言ってた同期の知人は、北欧から来た留学生に一目惚れし、卒業後速攻で彼女の祖国で挙式をあげ、同時に就労ビザ取得して現地の商社に潜り込み、今や向こうの財界で「日本進出を考えてる企業はとりあえずあの男に相談しとけ」みたいな扱いされてるらしい。マジで凄いわ…。
俺の知る限り、看護師が医者と結婚ってのはあまりないケースなんじゃないかな
トラックの運ちゃんだとか、
塗装工だとか、
電気工事士だとかが多い。
小さいときはほとんど『自分が』行動しているって感じがなくて、ぼんやりと生きてた感じ。
中学生くらいからだんだん『自分』がはっきりしてきて、あーこれが思春期って奴かと思った。
高校生の時が一番自我がはっきりと意識できて、『自分が』行動している感覚があったんだけど
だんだん自我が引っ込んで無意識のまま行動している感覚のほうが多くなってきて
25才の今、なんだかまた小さいときに逆戻りしたみたいに何も考えずたゆたうように動いている。
自分の外側に膜があって、その膜越しにしか世界に触れていない感覚。まるで胎内のような気持ち悪さ。
高校生の時のあのすべてが直に自分の精神と触れている感覚ってもう味わうことはできないのかなあとちょっと残念。
自分の親はいわゆる毒親だった。子供の要求、感情を承認しない親だった。だから自分のやりたいことをやらせてもらえたことがない。というか子供の頃自分が本当に何をしたかったのかもよく分からない。
いつも、世間体を気にする親の都合で少年サッカーをやらされたり(兄がはいってので)、塾に通ったり、それ以外はしたいことが合っても親が金出してくれないから、何も出来なくて無気力な帰宅部で、周りからも暗いやつだと言われ続けた。
本当に辛かったのは大学時代で、全く馴染めず、友達どころか話し相手も一人もいない。通うのが辛くてうつ病状態で、布団から出られなくなるくらいだったが、親は「甘えんな」と罵声を浴びせ、なんだかんだ留年して卒業した。思い出も写真も一枚もなくて人と話した回数を数えられるくらいの学生生活だった。絶望的な気分で望んだ就職活動は卒業間際に派遣会社に就職した。
そもそも学生時代からなるなら公務員か田舎で農業でもしたいと考えていた。社畜生活なんて学生生活以上の地獄に違いないと思っていた。だが実際には色々辛いことがあっても学生生活よりはマシだった。なんだかんだ1年働いたら貯めたお金で家を出た。
それ以来5年働いた後、派遣先の上司に認められ正社員になり、その後3年も働いている。はっきり言って仕事は辛い。理不尽なことで怒られるし、工期も予算もキツすぎ。やりがいもない。現場の雰囲気も悪いし、上司も辛そうな人ばかりだ。
それでも続けてられるのは、仕事がどんなにキツくても学生時代よりはマシである事実、働いていないと一人暮らしができない、実家に帰りたくないという思い。子供の頃から身につけた辛い時は感情、感覚を麻痺させるという生きるためのテクニック。その三つで私は今の仕事を続けてられる。
もしも、親が子供の頃から私のやりたいことをやらしてくれたら・・こんな仕事はとっくに辞めてたかもしれない。辞めて他の仕事に就くか、ニートなのかは分からないが・・もしも学生時代が楽しくて充実していたら・・こんな生活バカバカしくて耐えられなかったかもしれない。
つか、主人公(の仲間)が敵の同族だった、みたいな話はファンタジー系ではごくありふれたものだから
幽遊白書→主人公は最初は人間だったのが後半で妖怪に変化した(しかも人を食う妖怪の末裔だった)
ダイの大冒険→主人公は人間だと思ってたら実は神様の使いみたいな存在の息子だった(しかも父親は母親の生まれ故郷を国ごと吹っ飛ばしてる)
BLEACH→主人公は生まれた時から敵方のボスの力を受け継いでいた
ジョジョの奇妙な冒険第五部→主人公は第三部の主人公の宿敵の血縁者だった
封神演義→主人公は敵方のメインキャラと双子のような関係だった
友達はそこそこ多いけど、休日はくそ暇してて、何もリフレッシュできてないヤツっている?
雰囲気次第では、知らない人ともすぐ仲良くなれたりするし、
会社の飲み会とかでゲラゲラ騒いで、いろんな人とチャラい話もヘビーな話もできて、
「合コンやろーぜー!」ともなる。けど、誘われるのは他のやつだけで俺には声がかからない。
一応プライベートな飲み会も、年に数回は誘われるレベル。でもどのグループにも居場所はないと感じる。
就職と同時に上京したから大学までの友人も少ない。帰省したら会って飲むレベルの友人も10人くらいはいる。
配属先の勤務地がちょい遠くて、周りに同期もほとんどいないし、その同期も結婚したりして、遊ぶ回数は激減。
休日遊ぶ相手がいない。家でひきこもってることが多い。
その結果、出会い系で知り合った彼女に依存、軽く束縛(異性との絡みにムカつく)。
予定がない日は会う、って感じ。で、ますます誘われにくくなる。
関係あるかわからないけど、Facebookの友達はやたら多いけど、
Twitterのリアル友人のフォロワは少ないな。なんでだろ。
本当は、2週間に1回とかのペースで、定期的に飲んで、
そういうのがいいんだけど、いつもそういう輪に入れないし、
自分のいないところでそういう輪ができてる。
知り合って仲良くなる女の子にも「遊んでそうだね」って言われる。
まあ職場の同じ年代の同僚には、ひっきーなのはバレてるんだけどね。
彼女への依存を断つためにも、彼女以外で夢中になれるものがほしい。
なんだろな。
『路上の人』つながりでキリスト教関係の書を読んでいる。今回取り上げるのは『人と思想 パウロ』(八木誠一・著 asin:4389410636 )。キリスト教を現在につながるものに体系化した人物であるパウロがどのような人生を歩んで、どのような思想を持つようになったのかが解説されている。
パウロを通して語られるキリスト教の「赦し」や「愛」の観念の解説が新鮮だった。キリスト教というと、同性愛の禁止といった聖書の教えを忠実に守ろうとする人びとの宗教というイメージが勝手に合ったのだけれども、そういう教えを厳格に守ることを重視するのはユダヤ教的発想で、そういう態度への批判から生まれたのがキリスト教であるとしている。
なぜ教えを守ることにこだわることが問題なのだろうか。
ユダヤ教では旧約聖書にある様々な律法を守ることで神に救われると信じる。そこでは律法を守ったか否かが重要だ。しかし、自身も厳格なユダヤ教信者であったパウロはそれを否定した。律法を完璧に守ることができる人間はごく少数であり、たいていは律法を守ることができず、絶望に陥る。または律法を守り切ったことの優越感が、やがては本来の神への信仰を忘れさせてしまい、そのことを自覚した時そこでも絶望に陥る。つまるところユダヤ教の律法主義は必然的に絶望へと至ってしまうのだとパウロは考えた。
そこでパウロは、イエスを神の子と信じる原始キリスト教に意義を見出す。すなわち、人間の罪はイエスの十字架によってすべて赦された。だから人はただ神を信仰することに集中しさえすれば救われるという理屈を展開したのである。パウロはユダヤ教の持つ厳格な律法を踏襲しつつ、それを守りきれない人間の心も考慮に入れて、堕落も絶望もしない状況に人を導くように教義を設計したのだ。
以上がパウロのキリスト教の教義への貢献であり、それがゆえにキリスト教の教義を学ぶうえで重要な人物足りうるのだという。まあキリスト教についてまともに学ぶ人からすれば当たり前なのだろうけれども、無学な自分にはパウロに対する自分の偏見が訂正されたので面白かった。