2013-08-01

俺が塾を2年で潰した話

3年前の4月ニートだった俺は海辺とある塾で非常勤講師として採用になった。アルバイト感覚だった。

開講13年目だったが、生徒は全員で9人。塾は40人で黒字と言われているので明らかに少ない。

働き始めて半年ほどで塾長は「君は2年後の正社員や!」「君は新教室オーナーになるで!」と言い始めた。なる気はなかったから、「いやあ」とへらへらしてた。はっきり断っておけばよかったのだ。

丁度その時期から、授業だけでなく事務作業をやるようになった。

事務仕事サービス残業が多く、金にはならなかった。いくら働いても給料3万円で固定である給与交渉をすると「金は後からついてくるものだ」「君が新規事業でも立ち上げて利益を上げれば自然給料も上がる」

と言われた。理屈は判らないでもなかったが、アルバイトで、給料を3万円から4万にするのに、新規事業を立ち上げるほどの労力がいるのかというのは腑に落ちなかった。

2月。生徒は相変わらずほとんど増えていない。15人程度だったと思う。俺は営業ノルマを与えられた。チラシを万単位で売っても、ビラを数百枚配っても、生徒がほとんど来ないのに、どうやって集客するのか見当もつかなかった。塾長はいくつかの営業プランを俺に言い、それを実行しさえすればいいと軽い調子で言っていた。

それに合わせて、塾の経営状態を示すグラフを見せられ一緒に塾の経営改善していくために頑張ろうというような事を言われた。

俺としてみれば、ただのバイトなのにどんどん責任が重くなっていくことがつらくなった。正社員になりたくないともっと早く言っていればよかった。

塾長は「1年後には君は正社員だ!」とよく言った。しかし、塾は借金まみれで、赤字続き。そんな状況を見て俺は正社員には絶対になれないと感じていた。大体、塾長給料すらずっと出ていないのであるモチベーションが上がらない。

営業の仕事を振られて数ヶ月間、俺は最低限の営業活動しかしなかった。情けない話、どうすれば生徒を増やせるのか見当がつかなかったし、営業活動自体に給料が出ていないことも不満に思っていた。

二度目の4月。塾に勤め始めて丁度1年過ぎた頃、塾長はキレた。俺が一人も生徒を入れられていなかったからだ。しかほとんど動いてすらない。

初めて俺はそこで正社員にはなる気はない、塾を辞める、と伝えた。塾長は案外あっさりそれを認めた。「ノルマは君が正社員志望だと思ったから与えた。そういうことならなしにしよう」と言ってくれたのだ。但し、受験生担当していたので、その受験生卒業する来年4月まではいて欲しいと言われ、俺もそれを承諾した。

翌日。塾長は「営業ノルマはないが、営業目標は立てろ」と言ってきた。断った。

さらに翌日。塾長は「君は1月からの数ヶ月間営業活動をほとんどしていなかったし、ノルマも達成していない。せめて営業に携わっていた時期分のノルマは達成しろ。大体正社員になる気がないならなんですぐに言わなかった」と言われた。正論だと思い営業をまたすることになった。

それでもやはり生徒は集まらない。塾の経営ますます傾く。

塾長もっと気合い入れて働け。これは君のためを思って言っているんだ。塾が倒産したら君も心に深い傷を負うだろう?」「君が営業活動をしなかったからこうなった」「君がもっと早く塾を辞めると言っていればこんなことにはならなかった」「君と一緒に塾の改革をしようと思っていたんだ。でも君が辞めるせいで改革ができなかったんだ」「責任を取れ」

その状況下で、俺が担当する生徒が2人辞めてしまった。俺の実力不足だった。それでぎりぎりで回していた経営が本格的にまずくなった。

塾長「すぐに生徒を二人入れろ」

これまでのいろいろな面で、俺が悪いのは判っている。それでももう逃げたかった。でも受験生がいるので辞められない。担当生徒は責任を持って送り出したかったし、講師は3人しかいなく、俺が辞めたら誰も担当できないのだ。求人を出す金もない。

仕事の失敗が急激に増えた。あり得ない、やってはいけないミスもいくつもした。塾長は「普通はクビだぞ!!!」と怒鳴った。でもクビにはならない、できない。

とにかくお前は駄目な奴だ、と常に言われ続けた。でも辞められなかった。

結局生徒が集まらず俺が働き始めて2年目で塾が閉まった。

塾長「お前のせいだ。損害賠償を払え」

と言われたが、結局払っていない。

それから1年。俺はまた引きこもっている。あの塾はまともではなかった。だがそれ以上に、明らかに俺の仕事っぷりは悪く、責任感もなく、外に出て働いてはいけないと人間だと確信たからだ。本音はただ働くのが怖くなったかなのだが。次の職場でもまた同じ事を繰り返すだろう。

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