っていう記事を少し前にmixiで見かけたので、自分だったらどう書くかなと思ったのだが、正直なにも思いつかなかった。
つまり「どの時点のどういう状況の自分に対して、どういう助言を送ればどうなっていたのか」がまるで想像できなかった。
つまりこの「昔の自分に6文字だけメールできたとしたら」という仮定の話は、前提として自分で進路を選択可能な状況であり、
かつその選択で失敗した、と考えている(感じている)という事がなくてはならない。
自分の場合、常に選択肢で成功した訳ではなかった。というより、選択肢そのものがなかった。
そりゃ全くない訳はないんだけど、例えば「1万円拾うか、一万円捨てるか、どっちかを選べ」のような状況ばかりで
主観的には選びようもないような状況ばかりで、そして状況に流されてばっかりで、現在に至っている。
とはいえ、自分はそれほど大人しいわけでも流されやすいわけでもない。むしろ主張は強いほうだ。
でもいつも選択肢はなかった。どう考えたってもう片方のほうは選べないような選択肢ばっかりだった。
たまに「あの時ああしておけば」的な事をいう人がいるが、半ば羨ましく半ば疑わしい気持ちがある。
羨ましいというのは当然「選択肢のある人生」というものに素朴に憧れるからだが、疑わしいというのは
そうそう簡単にそんな「豊か」で「多様な」人生ってあるものなのかね?と思ってしまう。
例えば何人も彼女がいる中で一番気に入った子と結婚するとか、何社も内定をもらってその中で一番よさそうな…的な。
そりゃ勿論いるんだろうけど、自分にそんな事は全く起こったことがない。
彼女なんて一人できてくれれば万々歳だったし、内定1社でもでれば四の五の言わずに飛びついていた(これは新卒でないという状況もあるが)。
そういう人生が不幸せとは言わない。だが、一体全体自分は何のために生きているのかわからなくなる。
予定調和の人生を送るだけでいいなら、むしろ主観的な考えなんてものがいらないはずだ。
アリのように、ロボットのように、感情をもたずに、ただ指示に従っている存在がいればいいだけなはずだ。
バガボンドというマンガに「運命は天によって完璧に決まっていて それが故に――――完全に自由だ」という言葉がある。正直全然意味がわからない。
これは「運命という大枠の中で、結末が決まっているという前提で、どのように振る舞うのもその人の自由である」という解釈らしい。
そりゃあ(作中で武蔵が悟った媒体である)水とかの話だ。水は方円の器に随うの故事の事かもしれんが、人は水じゃねえ。
俺は新卒のときは内定1社しか出なかったし、やってみたら全然つまんなくて即辞めた。 自力で勉強して業界も職種も全然違うところに無理矢理ねじ込んで6年くらい経った。 最近の転職...
単にお前が人でなしなだけだろ? ガンガン捨てればクソなりにブーストはできる。 なんだそれ。 場合によっては、親兄弟を見捨てるとか、野垂れ死ぬ覚悟をするとか、そういうもん...
二言目には「人に迷惑かけるな」とか言い出すのってほんと日本人的だよな。
一生出てくんな!
どこからどこに? 言うまでもなく君の前には一生現れないとは思うが。
ど~こからど~こにぃ~~~???www
人として生きるために働いてるのに働くために人を捨てるとか本末転倒すぎる。
そうなのか。俺はそういう理由で働いてはいないなあ。 価値観は人それぞれだからね。優先順位高いもん以外は諦めるしかないよ。 初期パラメータがクソだった奴はな。