一応20世紀の哲学者だけど、最後の本である『哲学探究』を書いたのが、確かギリ第二次大戦の終わり頃だったと思うから、最近というほどでもない。「初歩的な勘違い」と言うけどさ、20世紀の初めごろなんて、それこそ「科学万能」の期待がまだあって、ヴィトゲンシュタインさんの分野である論理学にしても、「論理学が完全に言語の曖昧さを解消し、哲学の問題を解決する」という期待感だって、まあ、あったわけ。
というか、むしろ、それからたった半世紀で「言葉には定められた『意味』がある、というのは幻想だ」ということが常識として定着しちゃったということ自体が、すごいことなんだよ。
それに、前期の哲学だって、全く無効というわけではないんだよ。ごく日常的な場面とか、あらかじめルールが定まった言語の世界…たとえば、コンピューターによる日常言語の分析みたいな分野で、大きな力を発揮してる「生成文法」の考え方(N.チョムスキーさんなんかの)は、「論理哲学論考」がその出発点になったと言われてる。ネットの翻訳サイトとか、翻訳アプリとか、意外なところで前期の哲学の子や孫たちは、今でも活躍してるんだよ。
自分は哲学を専攻していたわけじゃないので、思想史的な詳細とか厳密なあれこれはすっ飛ばす。 こちら( http://anond.hatelabo.jp/20130724000643 )の人が既に仰っているけど、そもそもこれが...