二十歳を前にして、景気変動のように躁鬱を繰り返すようになった。
しばらく死んだように倒れていても、ひとの何倍ものパワーを出せる時期がくれば取り返せていた。
その波も小さくなってきて、大学を卒業して大学院へと進学できた。
それでも、なにもできない期間はあった。
あったけれど、他の院生よりもずっと成果を収められた。
私の時間の流れと、環境の時間の流れになんとか折り合いをつけられていた。
しかし、「平日は毎日朝から晩まで」という時間の流れを要求される環境には適応できなかった。
症状は悪化する。創造性は失われる。
中途半端に結構な成果を上げてしまっていることが、責任を生じさせる。
その責任の不履行が自分以外のひとにも及ぶのが厄介で、倒れていられない。
細々としたオペレーションレイヤーの対応をどうするか、そんなことばかり気がかりで、気が休まらない。
うまく責任の及ぶ範囲をこれ以上広げずにクロージングして、この時間の流れとの交流を断ちたい。
7年以上かけてやっと形成することができた、病気へと適応する時間の流し方を、すぐに変更できるほど事は易くない。
その変更を迫ることは、すなわち、治療を中止することに繋がる。
で、何が言いたいの? 俺は病人様なんだからお前ら俺に合わせろ、下僕どもが と?
ただ逃げたいだけ
好きにしたらいいんじゃねえの お前の責任の範囲で
そうする、ありがとう
ひとは私ほどに私に興味はないし、私ほどに私を必要としていないという事実をかみしめるべきだ。