階段の比喩自体は否定しないよ。悪趣味は悪趣味で極められるでしょ。
一つの階段の上段ほど趣味が良くて下段ほど悪いっていう構造じゃなくて、「趣味が良い階段」と「趣味が悪い階段」が別々にあるというだけ。
『泉』は悪い階段の上の方に湧いてんじゃねーの?
ただ泉をそこに湧かせた力をカントは説明できてないんじゃねっていうこと。「悪趣味を極める」ってのがもう彼的には理解不能ってことになりそう。
Permalink | 記事への反応(1) | 21:21
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横だけど その階段はもはや独創性の階段というか独創的感受性の階段になってそう こと学問や科学の分野では客観性や再現性が尺度=段差で階段の比喩が成立してるけど、芸術分野では...
全く共有できないってこともないだろう、と思いたい。 全人類とは共有できなくても、感受性階段でかなり近いフロアにいる人間は必ずいる。はず。きっと。たぶん。