そういう風に思っている。自分にはできることなんてほとんどなかったり、何かができるようになるまで努力することもできないのに、なぜかプライドばっかり強くて、これは自分のやるようなことではないとか、必死に頑張って何になるのとか考えている。
だけど、大学とかに通ったりしていると、もう時間がないことが頭の中でどんどん大きくなっていって、何も手につかなくなる。一応、シューカツとかでしゃべられる程度には課外活動をがんばったりしたのだけれど、学問に打ち込めない自分がやっぱりいやになったりしていた。友達とのつきあいも、一時のものだと思いつつも、割とよく会って、楽しく話をしたりする。
中学校くらいまでは世界が狭かったから、自分は何にでもなれると思っていた。
高校の時にはそろそろ世の中のことがわかってきたけど、まだ大丈夫だと思っていた。
大学の時には、就職難とか言われていたけど、自分だけは何とかなると思っていた。
今はそこそこに働いていて、まわりに鬱になってしまう人とかがいるけど、自分だけは大丈夫だと思っている。
それにしても、一度でいいから「突き抜けた」と思える体験をしてみたい。でも、頑張るのは嫌だ。
一度底抜けに頑張った経験があれば、どんどん前に進める気がするけど、集中力は3分しかもたない。
そして、恋人が生まれてこの方いないのも、そろそろ苦しく思うときもでてきた。
自分なんて、代替可能な「何か」なんでしょ。ただし、親にとっては替えられない子供(ひとりっこだし)なので、消えることはできないなあと考えたりしたこともあった。
やりがいってなんなんだろ。今の仕事には特に不満はないけど、そこまでこだわってやることとも思えない。
ちなみにこれが好きで好きでたまらないという趣味もない。お金にも執着はない。あなたじゃなきゃだめなんですと思えるヒトもいない。
どうやって生きていくのが一番楽しいんだろう。考えていることを文章にしたら気持ちの整理ができるかなと思ったけど、逆にはっきりした。
自分はもう、何をしてもだめだんだろうなって。でも、親は悲しませたくないし、できることならなるべく「自慢の子供」でありたいと漠然と思っている。
突き抜けたとしてもそれを維持できない 後からきた天才に駆逐されていく 凡人は辛いな
人生に対して、何か客観的/本質的な意味のようなものを求めてはいないだろうか。 しかし、そういった意識は、何事に対しても「あれは意味がない」「これも意味がない」と評価するこ...