無理してでも札幌には行こうと思う。
彼等を見ていると自分の“没個性”とかそういう言葉が突き刺さる。
自分の好きな物はすべすべした陶器のようなフックのない完璧な物であるから、没個性であればあるだけ完成度が高まっているということなのだけども。
「なんでもできそうな気がする」という言葉が突き刺さる。
元々、何だってできる人達だった。何だってできる癖に、好きな時に好きな事だけをやって――というか、春には稲を植え秋が来たから穂を刈るように、為すべきことだけを為して生きているような、そんな人達だった。
野心とか無いんだろうなと思う。それは今も同じなのだろう。
僕はといえば夢中で足掻いてるうちに潮流を掴んで、物凄いスピードで流されて信じられないような高台に来た気分です。
それは確かなのに、「次はもっとやりたいことを詰め込んだなと思う作品にします」なんて、彼等の様に言える気がしないのです。
あの人達が見えないくらい高みに僕は届いたと思ったのに、
足元に何も無いはずの彼等に簡単に肩を並べられる。
浮遊感ってそういうことか。
なんて自由なんだろう。