基本的には http://anond.hatelabo.jp/20130329190303 の補遺。ただしこれは男性教師→女子生徒限定かな。
周囲の女性(周囲に女がいません、という意見は却下する)を観察してみてほしい。女性が数人いれば1人くらい、「たくさんの男に愛されたり欲情されたりすることが女の勲章」と思っているような女性がいると思う。増田の周囲(非教え子)にもいた。
小学生の頃はどうか分からないが、中高生になってくると女子はそういう意識を表に出してくる。しかも中高生の方がかえって「表に出し方」が不器用だったりする。だから教師やってると、そういう手に取るように分かる子もいる。が、潜在的にそう考えてるけど表に出してない子もたくさんいるだろうことが想像つく。
そしてもう一つの事実として、現在の日本では中高生の自己肯定感が半端なく低い。自分が価値のある人間だと思う高校生は36%だとかいう調査結果が出ていたが、実際に教えていても「みんな誉められてないな」というのは感じる。そういう中で、「教え子は女として見てないよ」と言うのは、教え子に何人もいるであろう「男に欲情されるのが女としてのステータス」な女子に対して「俺にとってお前はダメだ」と言っているのと等しい。
教員としては、クラスに40人いるならその40人にできる限り配慮しないといけない。(だから先生の話は40人全員に配慮するという制約の結果、つまらなくなる。制約が無い中で教員同士などで話していると意外と面白い人も多い)。「男に欲情されるのが女としてのステータス」と思っている生徒と、「生まれつき、あるいは思春期で性への嫌悪感を持っている」生徒とではどちらの数が多く、どちらに配慮すべきかというと、天秤はどうしても前者に傾く。セックスヘイトの生徒がいるのは承知だが、じゃあそういう子だけ除外して性教育[※やらしい意味ではなく]をすることができるかというと不可能だし、性教育に限らず割と大っぴらに性の話題している生徒も多いがそれを全面的に禁止することはできない。
だから俺は「可愛いと思う子いる?」と聞かれると「いるよ。誰なのかは絶対に教えないけど」と答える。
>正当化するな
し て ま せ ん。これははっきり言っておく。俺は教え子に手を出したことは未遂を含めありません。
>せっかく増田さんが手の内を明かしてくれたんだから、学生の方達にこの記事を読んで欲しいですね(少し難しいかもしれないけど)。
これが一番近くて、学生とかあるいはもっと教育委員会とか文部科学省の人とかがこういう現実を踏まえて有効な対策取って欲しいと思う。痛くもない腹を常時探られている現状がはっきり言って辛い。
ちょっと増田が言葉足らずだったかもしれない。はっきりした悩み事の相談として知る以外にも、授業中の私語の内容とか、少し時間が余ったときや休み時間に入ったとき、あるいは掃除中などの会話の中からそういう『今生徒が抱えている悩み』も分かってきて、そこから『攻略法』に結びつくことも多い。
ただ、そういう普段の会話の中から生徒の悩みや考えていることを分かる能力がある先生ってのは、やっぱり良い先生じゃないとできない。ありきたりなことを言うようだけど、教員に力がなかったらいじめ対策なんかもできない。ただ一方で、その力の使い方を間違えたら体罰や性犯罪にもなる。その力の振るい方が今の日本の学校では、教員の裁量に委ねられすぎではないかという問題意識で例のエントリを書いた。
DSM‐Ⅳによる自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)の診断基準
誇大性(空想または行動における)賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち、5つ(またはそれ以上)で示される。
1. 自己の重要性に関する誇大な感覚。自分の業績や才能を誇張する。
2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3. 自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人(権威的な機関)にしか理解されない、または関係があるべきだと信じている。
4. 過剰な賞賛を求める。
5. 特権意識、つまり特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7. 共感の欠如。他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
思い切って、リベラルアーツでいうところの、文法学・修辞学・論理学をやったらどうだろうか。
まず、文法学。
一応、中学で現代文の文法を、高校で古典の文法をならったけど、あれ意味がないように思う。
辞書と文法書さえ手にすれば、ドイツ語だってフランス語だって、素人でもなんとか作文はできるけど、その逆にアメリカ人に中学日本語の文法書と日本語の辞書を与えて作文が出来るとは思えない。
江戸時代の学者が、平安時代の文章を解釈するために成立させた学問がベースになっているためだろうけど。
思いっきり刷新したほうがいいと思う。
言語学的な内容も盛り込みつつ、日本語学校で教えるような実際に即した日本語教育というのが着地点かと。
というか、なんで義務教育で今までなかったのか。
国語教育に「論理的に考える能力を身につける」とかいう目標があるなら、論理学の基礎を省くわけにいかないだろう。
集合、命題に触れるのが数学で、国語ではノータッチという有様で、論理的に考える能力を身につけるとか無理だろJK
ヘルメットをかぶった小太りのおばさんが買い物かごを持ったまま
半額シールの貼られたおかずを掴んではかごに入れ、また戻し、また別のものを入れては戻しを繰り返していた。
べたべたと触っている様子を見てとても気持ちが悪くなった。
どうしてあんなことができるんだろうか。
今後、自分の口に入れるありとあらゆる食べ物が同じような過程を経ているかと思うと
気持ち悪くて仕方がない。
下手したら、じゃなくて100パー上司が負けるだろ。
少なくとも「憲法九条を守れば日本は絶対安全」とか「九条の精神を外交に活かそう」みたいな、昨今話題の体育会系よりも精神論が大好きなニッポンのサヨクよりは、遥かに信用できる。
どういう状況か分からんけど「その上司に障害があって、それをからかった」とか、そういう悪質な事を新人が言っていなければ、先に手を出した方が明らかに不利。
まあ、貴方にとってクライアントはその人なんで、本当のクライアントのことは気にしても仕方ないんじゃない? それより、ちゃんとお金を払ってくれるのかが心配になるなー。
日本の左翼は、体罰問題などでは、体育会系の精神性を批判するが、その割には、日本が軍を持つのを反対し、強大な軍事力を持つ周辺国に対して「丸腰で挑め」などと主張し、平気で「平和を愛する心で外交を行えば必ず平和は達成できる」などと精神論を唱える。
暴力が伴わなければ平和を愛してるって事にはならないんだが。旧日本軍でも竹槍くらいは用意してやっていたというのに、それ以下かよ。
墾田永年私財法(コンデンエイネン シザイホウ)
スリジャヤワルダナプラコッテ(スリジャヤワルダナ プラコッテ)((正しい読み方はスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ))
メトロポリタンミュージアム(メトロポリタン ミュージアム)
サイン・コサイン・タンジェント(サインコサイン タンジェント)
タラちゃんちょっとそれ取って(タラチャンチョット ソレトッテ)
母さんこの味どうかしら(カアサンコノアジ ドウカシラ)
「どんぐりころころ」
お池にはまってさあ大変(オイケニハマッテ サアタイヘン)
15で不良と呼ばれたよ(ジュウゴデフリョウト ヨバレタヨ)
「丸竹夷二押御池」
「平家物語」
祇園精舎の鐘の声(ギオンショウジャノ カネノコエ)
「二条河原落書」
それからチーフになり店長になって店舗開発を任されるようになるの。
店舗の仕事が分からないと店長は務まらないし店の持ち味が分からない。
持ち味が分かってその店独自の商品を企画し開発し販売していくから、
マジレスすると、初日から残業があるくらいで絶望してしまうほどにクソつまらない仕事であって、そんなクソつまらない仕事に集まるような人間しかいないから1日で辞めるとかいうことが起こるのだよ。
いつからそう感じていたのか分からないのだけど、モノを買う事に罪悪感を感じるようになっている自分に気付いた。
昔は、欲しいモノがあったら、ポンポン買っていたのだけど、今はどうもそんな気分にはならない。
「欲しい」という気持ちを「罪悪感」が上回って買えなかったりする。
「消費すること」・「お金を使う事」=「悪い事」と感じるようになってしまっている。
日本が不況と言われるようになったのも関係していると思うし、「エコ」だとか「節約」とかが良しとされる風潮が広まって来ている中で生きてきて、自然とそう感じるようになってしまったんだと思う。
日本中の人が、自分のようにモノを買う事に罪悪感を感じているんだとすると、それが不況の原因なのかなあと思ったり。。。
でも、ここで書きたいのはそういう事じゃなくて。
そんな「モノを買う事に罪悪感を感じている」自分でも買ってしまうモノ達がある。
漠然と最近自分が買ったモノや、買ってもいいかなあと思っているを眺めていて、そこには共通点がある事に気付いた。
例えば、
・二つの使い方ができるバッグ。
・他のお店で売っているより安かった文房具
などなど。
商品のジャンルは違うけど、全てに「言い訳ができる」という点は共通している。
思いついた言い訳を書き出して見ると。
・買う事で、発展途上国の仕事が増えるというバッグ → (言い訳)このバッグを買えば、発展途上国の援助にもなるんだ。
・被災地の支援になるプロダクト → (言い訳)これを買えば被災地を支援できる。
・二つの使い方ができるバッグ → (言い訳)二通りの使い方ができるので、二個買わずに済む。
・他のお店で売っているより安かった文房具 → (言い訳)他で売っていた値段より安かったんだから得した。
というような感じ。
買ったものは、無意識のうちに、自分を説得できる言い訳が思いついたものばかり。
そう考えるうちに浮かんだ仮説がこれ。
『 現代のような「消費」=「悪」という社会では、人が欲しいモノをつくっても売れない。売れるモノは「言い訳できる」モノである 』
そう考えると、色々な企業が、社会貢献活動をしているのにも納得がいく。
まわりまわって、その企業の商品が売れる為の「言い訳」になるのだから。
これから、モノをつくったり、売ろうとしたりする人は、「言い訳できる」という視点で、アイデアを練ったり、売り方を考えればいいんじゃないかなと思った。
※もちろん、企業の社会貢献的な活動が悪いと言いたいのではありません。消費者の購買活動の動機づけや判断の材料として働いているだろうという意味です。
後半は「変な人だな」とは思うが、前半は至って普通だと思うが、誓約書なんて当たり前すぎ。
クライアントにデザイン確認しなくてもOKってのは、それだけ安価なんだろ。
ディレの人物像はともかく、気になったことを尋ねない(尋ねられない)ってことは
まぁ、普通スーパーに入って何やるにしてもまず現場って考え方はあるだろうから、今レジうちしてても別に負け組みではないけどね
コミュニケーションというのは大海原でひとり鳴く鯨の音波のようなものだ。
鯨の発する音波は水中に伝達していき、ときとして他の鯨もそれを聞くことはできるかもしれない。しかしかれらの声は意思疎通の道具ではなく、その反響によって深度や障害物を見きわめるための、いわば引き伸ばされた感覚器官としてはたらいている。固有の世界が先立って発音しているのではなく、世界をつくり上げ、認識し、遊泳する環境と相互作用することの条件として発音される。
人間も同じだ。発話や身振り、応答可能性へのとりくみはつねに独我論的になされる。自分の応答がそれとして受け取られることを確信することはできないし、相手の応答をそれとして受け止めることもまたできないかもしれない。この意味で、応答とは単なる他者への返事や返書ではありえない。応答とは声を聞くことだ。それも声をひとつの感覚として、身振りそれ自体を神経の張りめぐらされた器官に仕立て上げることだ。そして、ただの残響ではなく、強度のあるはね返り、歪められ変形させられた反射音を予期しながら声を発するとき、人は楔を打ちこむかのように初めて外部との関係に独自の世界を打ちたてる。ただひとりの海をかき分けるようにして応答はなされる。
それでリーダーやってられるってのは凄いな。
っていう所にWebデザイナーとして応募した。
ホームページはしっかりしてたし、代表オレ!みたいな写真ものっけてたし。
ちゃんとしたとこだろーなー、なんて思ってた。
仕事が欲しいってわけじゃなく、いや欲しいけど。
Webに携わるいろんな人がいるなら何か面白いサービスとかできるかも?
って思って軽く応募してみた。
やけに多い誓約書?これは守ってね!っていうメールがきたので「同意します」って送った。
内容は普通のことだった。やたら項目が多いけど。
これだけ多くの項目を「守ってね!」
っていうくらいだから凄い人かも、とちょっぴり思った。
そして面倒くさい人かもって、ものすごく思った。
そしたら早速何件か仕事がきた。
何よりまずは一緒に仕事してみようっと思った。
ディレクターは応募先の人。
“フリーランス集団です。なんかいろいろ募集”のホームページで写真のっけてるひと。
営業出身で、会社やめて、グラフィックデザインの学校入って独立した人。
「なる早で!」と連発する人。
期間は?どんなレイアウトで、色は?
「こんな感じで”僕は”考えてます」
え?
「いや時間ないんで、これで」
いいのですか?
「はい」
「いやなる早なんで、急ぎなんで、こんな感じで」
ちなみに私はクライアントの連絡先は知らない。
ディレクターがクライアントにデータ渡してちゃんと確認もらって、次の工程に進んでる、
と思ってた。
ついでにだけど
「ごめんなさい」
がお金に絡むこと以外は言えない人なんだな、とも思ってた。
間違ったら誤るでしょ。
「勘違いしてました。でもそれでOKです」
ん??
で、WPテーマ化が終わったとこ、つまりデザインもコーディングもOKもらった時点で、
ん?????
業務命令にすれば、一緒に食べてくれるよ。
それが嫌なら殴っても良いし蹴っても良い。あるいは解雇をちらつかせても問題ない。
全部、私の昔の上司達がやってきた事だ。
予告してないで黙って告訴しろよ北朝鮮じゃないんだから、と思ったけど、暴行の事実を本人が認めている証拠を取るために暴言を録音しに来てたんだったらハイレベルな喧嘩師ですね。