なんで個人の問題と全体の問題を混同してるの
CTOはいますか?というのはCTO足りえるだけの技術力と・経営力を兼ね備えた人材が役員にいるか?
役員にCTOという役職だけつけて、出してもしょうがないのよね。
分かってないんだなー。異性愛者でいる事自体が同性愛者から見れば差別って事がw
そもそも、同性か異性かの問題なんて、生理的嫌悪に基づいたシンプルな話なのに、差別良くないなんていう理性の話に落とし込んでいる時点でダウトなんだよ。
増田は想定してない。
この先増田が好きになる女の子が同性愛者やバイセクシュアルでない保証がどこにある?そんな相手とは付き合わないから大丈夫? なるほど増田は「同性愛者キモいw」と言う女とのみ付き合い、結婚するわけか。
なら、結婚して、子どもができたとして、その子が同性愛者にならない保証がどこにある?
増田か、増田の結婚相手の兄弟姉妹の誰かが、あるいは両親のどちらかが、実は同性愛者かバイセクシュアルであったとしたらどうする?
自分の人生の中の、大切にしたい人間、大切にしなければならない人間、切り捨てようにも切り捨てられない人間が、同性愛者やバイセクシュアルであったとしたとき、「同性愛者認めろってのは、オレの人権を踏みにじるっていうのと変わらないわ-」と書いた、自分の記事を、増田はどう思うんだろうね? 増田の矮小な人権意識では想像のつかないことが、世の中にはいろいろあるんだよ。
自分の中の「偏見」と向き合わずに生きてると、そのせいで、人生の中で大切なものを失う選択をすることがある。これは、事故や天災にあった全ての被害者と、よく似た問題なのな。つまり「運悪く、それが自分には縁のない話だと思って、ただ遠ざけ、そして油断していた」。
特にきつくはないよ。当たり前の事だしね。
「好き」の反対語は何だと思います。「嫌い」じゃないんですよ。「無関心」なんです。なんていう陳腐な事言いたくなるじゃねーか(苦笑)
ま、実際、その通りなんだけどね。
ノミニュケーションが嫌われるようになったのって、2ちゃんねるを筆頭とした匿名コミュニティに遠因があるんだろうなって思った。
紛れも無い無礼講が毎日のように行われてるっていうのに、遺恨を残す可能性のある現実の宴会にはなかなか足が向かないのは道理だもの。
お前らって常にモメてるよな
http://anond.hatelabo.jp/20130407151619
おいおい…。何も作家を取って食おうってんじゃねえんだから…。
出版社や編集はあくまでも利益上げるためにやってる仕事なんであって、何も作家を潰して楽しんでるんじゃねえんだから、せめてそこくらいは信用してやれよ。
何度も言うが、“狙って書く”腕前は作家に必要だが、大局観はいらねえんだよ。
そりゃ作家も自分でプロット作って編集に出すのが当たり前だが、「次に何書かすか」って話になれば基本、編集が決めてんだぞ?
今こういうジャンルが売り上げ伸ばしてる、この作家はこういう話を書かせたらきっと光る、社内の内部事情に鑑みても執筆進めさせてOK出そうだ、じゃあこんな路線の話を書かせてみよう、って編集が判断して指導してるのを、
作家に「何でですか?何でですか?」ってうるさく聞いてこられたら、編集は業界の情勢やら会社の現状やら何から何まで全部一から説明してやらなきゃならんのか。
あと、ごく個人的なニーズと世間一般的なニーズとで需要が分かれてるだろって話だが、この先も、紙媒体と電子書籍でそう差が出るとは思えない。
実際数字として出てない。
というかお前の読みとしては恐らく「電子書籍ならば本屋の店員に見られたら恥ずかしい小説でも入手しやすいだろう」って事なんだろうけど、差は出てない。
「寛容」と「無関心」は、異なったことであり得るのではないかなあ?
いわゆる「私は貴殿の主張には賛成しないが、貴殿が意見を述べる権利は尊重する」とか。あるいは、自分は同性愛者ではないが、あなたが同性愛者であることやその感じ方については理解し尊重したいと思う、とか。
「異なる」ことが決定的に「理解」を阻害する壁だとは思わんのよ。もしそうなら、この世に「理解」なんて言葉はそもそも必要ないわけでさ。(←この「理解」には、下の増田が書いてるような「衝突」を含むよ。念のため。)
男友達が、会話したこともない後輩の女の子から突然手作りのクッキーを渡されたんだけど、普通に食ってて驚いた。
男性はこの手の突撃行為に対しては女性と比べてかなり寛容ではあると思う。
つーか、何でもかんでも寛容であればいいわけじゃない。
ぶっちゃけ、アップルシードの世界でオリュンポスがやってることが、そのまま正解なんだよな。
ああ、多分士郎正宗は、先に挙げた説明の中で言う「他人に対して厳しい」人間のことを「限定主義者」と呼んでるのだと思う。
個人の性向がどのように限定的であっても、他者に対して寛容であれば、それは「非限定主義者」でいいんでないの?オレの誤読でなければ。
ちなみに出典は攻殻2のP16なんで、手元にあって興味があったら確認しとくれ。
にしても、差別良くないとは言うけど、異性愛者が同性愛者を差別するのは良くないだなんてのは口だけなんだよね。
おそらく、リアルに同性愛者に接する機会が無いんだろうけど、俺はあったからなー。数年ほど同じ職場の隣の席にいた奴が男でゲイだったよ。最終的には性転換してたから、厳密にはどう呼べばいいかは知らんけど、少なくとも男に恋愛感情持つタイプだったのは、いくつかの目撃談が物語ってる。
俺自身は異性愛者だし、同性に恋愛感情なんか持てねーから(つーか、野郎相手に性欲は湧かん)、そういうのは生理的嫌悪しかない。遺伝子が悲鳴上げてると言っても良い。実際、人間の遺伝子には間違った相手と交尾しないような機構が組み込まれてるしな(近親相姦防止の為に血統が近いほど相手の体臭が臭く感じるというのが本当にある)本能にまで逆らうのは勘弁だwww
今はてブのホッテントリに内田樹のブログ記事が並んでるのを見て読んでみた。
内容はいつもどおり、「突き詰めるとグローバリズムとか新自由主義が悪い!」というような感じである。
ああ、なるほどなぁ……と思うところもあるのだけど、それを言われたところでどうしようもないじゃんという落胆が大きい。
今回の記事だとはっきりと「手のうちようがない」と書かれていてまだ潔いなと思うわけだが、物によってはただ問題を指摘してはいお終いということも少なくない。
それがおおよそ個人の内面的な部分に起因する問題であるとかいう指摘ならまだ読者としても手の施しようがあるものの、大体の場合は極めて大きな構造上の問題なのである。
それもだいたい今回のエントリ同様グローバリズム批判に終始する場合がほとんどであるように感じられる。
別にその指摘自体が全く意味のない無駄なものであるとか言っているわけではない。
ただ、そこで得た見識を用いて次に活かすということが出来そうもないものばかりであるという点で釈然としない。
言ってみれば希望が持てないのが嫌なのだ。得られるのは絶望感だけ。
もちろん大半の問題はそうやすやすと解決出来るものではないし、一冊の本に仕上がる程の大きな問題なら尚更そうであろうことも分かる。
だからといって「どうしようもないし、俺は知らない」と匙を放り投げてしまうのは如何なものかと。
という風なことを、彼の文章を読むといつも思ってしまうのだけど、そういう時はどうすればいいんだろう。
某ピースボートクルー経験のあるLife系社会学者の人が出してるような、いかにも希望を出汁にお前ら社会的弱者を釣り上げてやろうと言わんばかりの本とかに当ってみると良いのだろうか。
ふと思ったけど、シロマサの漫画の主人公で、限定主義者じゃない奴なんかいないんじゃないかな?www