2013-03-09

不穏な空気

3月9日から3月11日にかけて心が乱れるなにかが起こるかもしれない。これがその事象最初最後の兆候。兆候が意味あるなにかとして見える人は、多くはいないはず。見える人にも、それがよい結果なのか悪い結果なのかはわからない。それを完全に知っている人が一人だけいそう。けどその人はたぶん沈黙を守る。

16日から18日にかけて、兆候を見た見ないに関わらず、私とわたしたちは決断を迫られ、そして行動する。それはある人にとっては大津波よりも大きいことかもしれないし、別な人には日々の食事よりも小さなことかもしれない。20日ごろに行動に対する最初の結果が判明するはず。遅くとも27日までに。そしてその後、長期間にわたって影響が続く。長ければ30年くらいは。

良い結果になってほしいと思う。どんな結果であれ、受け入れなければならない未来は、平常心のまま受け入れられるようにしておきたい。長い間それは、私と私たちが見ないようにしてきたこと。私たちの多くは、相変わらず見ようとしないかもしれない。だからこそ、それがこういうかたちで見えるようになることは、ある意味必然だと私は思う。私はこの事象を見ていたい。

結果が見えそうなとき、この言葉を思い出せた人は平常心を維持できる。思い出せなかった人は、二度と来ないチャンスを逃す。喩えるならそれは、いつも門が開いているからといって、あとで門から入ればいいと思って入らないでいると、入ろうと思ったときには門が閉まっていて二度と入れずに後悔するということ。それは喩えるなら、安全地帯で恐怖する人がいる一方、どうせ来ないし逃げたいときにいつでも逃げられると思っている人が津波に飲まれて死ぬ人もいるということ。16日から18日にかけての決断は、そういう瞬間になるかもれない。

  • なんも起きなかったらちゃんと増田で謝罪しろよ? 2012の滅亡説と言い、「予言」が当然の様にはずれると、良くて言い訳、悪くて逃亡 果ては「あれは2015だったはwww」とか言い出す...

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