普段はあまりネットで発言したりはしないのですが、今回の大阪市立桜宮高校の体罰問題についてはちょっと言っておきたいことがあるので、ここの匿名ダイアリーを借りて発言させて頂きたいと思います。
事件の概略やらなんやらはネット上にいっぱい情報が乗っているのでここでは省きます。今回私が言いたいことは、「なんで、体罰被害者であるはずの学校のOBとかに体罰容認論者が多いの?」という事についてです。
参考リンク「先生は間違っていない」“熱血”指導で全国大会常連校にした顧問 桜宮高2自殺(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130108-00000578-san-soci)
なぜ、体罰を受けてきた学校OBたちに体罰容認論が多いのでしょうか?なぜ体罰を受けてよかったと思っているのでしょうか?
結論から言ってしまえば、体罰を受けてきたOBたちは皆「体罰は是であると教育されてきた」からだと思います。
例えば、タバコを構内で吸っている生徒が居たとします。そこに先生がやって来て、生徒のタバコを取り上げ、平手打ちを一発かまして、「タバコなんて吸うんじゃない!」と怒鳴りつけたとしましょう。この時、教育を受ける側である生徒は先生からどのようなメッセージを受け取るでしょうか?
一つは「未成年がタバコを吸ったらいけない」という事でしょう。しかしこの時、生徒はもうひとつメッセージを受け取ることになります。それは、「学校でタバコを吸っている奴を見かけたら先生は平手打ちをしてもいい」という事です。
要するに、生徒は、先生の発言と、行動から学ぶわけです。よく言う「子どもは親の背中を見て育つ」というのがこれです。
これは子どもの側から見たら当たり前で、自分たちの未来の姿である親や先生たちの行動は、自分たちの指針になるものなのだから、親や先生が自分たちの目の前でやったことは、大人になったら自分たちもやっていいと考えるのは当然のことです。
と言うよりも、そうやって子供たちに社会の中でどのように振る舞えばいいかを教えるのが教育というものであると私は思います。
(自分で手本を見せることもせず、頭ごなしに怒鳴りつけるような人もますがそういう人は親としても教育者としても失格であると思います)
今回の場合、バスケ部の主将が、「ミスをしたら殴られた」というものですから、部員たちは、「主将がミスしたら殴られる」ということと「先生は主将がミスしたら殴ってもいい」という事の2つのことを学んだわけです。
そうすると、特に素直な人は、「先生は主将がミスしたら殴ってもいい」と信じ込んだまま大人になってしまいます。
これは要するに、幼い頃に虐待を受けた親は自分が親になった時、自分の子供を虐待する傾向がある。という事と全く同じ事です。
参考リンクhttp://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=8&ved=0CGcQFjAH&url=http%3A%2F%2Fwww.daiichihoki.co.jp%2Fdh%2Fupload%2Ftrial%2Ftrial603993.pdf&ei=m9LyUIX_NYSbkgXv2YHYCw&usg=AFQjCNELyTw1qGQpi2wQfpN_8d-6Ip83Qw&sig2=JhJyQYLnmZhlP59LKTehAg&bvm=bv.1357700187,d.dGI
更に、被害者が多いという事は加害者も多く。また、被害者が加害者になるケースを考えると、ねずみ算式に加害者が増えていくという点で虐待よりもたちの悪い社会問題とさえ言えると思います。
(体罰が正義かどうかという点についてここで議論する気はありませんが、教育者が子どもに対して「暴力」という社会的に許されない手段を子どもに正しいこととして教えてしまう可能性があるという点において、「体罰」は間違っていると私は考えます。)