私はヱヴァQを見ていて、あ、これは魔法少女まどかマギカに近いテーマ性を持っている、更にその先に行こうとしていると感じた。
というのも、まどかマギカもヱヴァQも、善意の結果が悪意と悲劇になるならば、善意の結果が人を苦しめることになるならば、というテーマを扱っているからだ。
ほとんどの創作作品において、善意は報われるということが前提になっている。善意が報われないならば誰も善意をなそうとは思わなくなるからだろう。
だが、その前提に対してまどマギは疑問を呈した。善意の結果が悪意と悲劇になるならばというテーマを立て描こうとしたが、まどマギはそこで止まってしまった。善意が悪意に転じるならばそれは絶望で、せめてそのような悲劇にならないように、という物語が描かれた。
ところがヱヴァQでは、シンジはアスカに引っ張られながら、それでも前に進む事を強いられている。生きている以上は歩かねばならない。立ち止まることは死と同義だとでも言うように
ほむら=カヲルと言われるけど、むしろほむら=Qシンジだと解釈した。
同性愛に近い友情を抱いてたたった一人の友達(まどか・カヲル)が、
セカイを滅ぼす存在(クリームヒルト・第13使徒)になる前にこの世を去り、
残された救いようのない新世界に取り残され、変な化け物(魔獣・インフィニティ)と戦い続ける運命だけが残され
手を取らなければいけないのは、今まで敵対していた人物(QB・アスカ)しか居ない
だが、ほむらとQBが手を組むこと、シンジがアスカに引っ張られること、そのものが「希望」であると。
新世界で生き抜くためには優しくしてくれる同性愛に近い友人(まどか・カヲル)ではなく、旧世界では殺そうとしたほど憎んでいた存在(QB・アスカ)だ
ただ虚淵玄が言うほどほむらとQBの折衝には中間がないのがネックである。
結局、魔法少女がこの世から去らなければいけない存在になるのは新世界でも変わらない事はさやかが証明している。
しかしシンジとアスカは破で絆っぽいものを結んでいて、それがQでも残っていたことに希望がある。
まどマギの新世界も描写が足りず、またほむらの心境もまどかが概念になってからあの黒い翼を発現させるまでの空白が描かれていない。
それは14年の空白を経て、なんかたくましくなったアスカに近いのかもしれない。
これはただ女の子の強さを庵野も虚淵も信じているからだろうか。
ちなみに庵野はニュータイプでまどマギを評価するコメントを残しているが、注目しているのはほむらとQBらしい。
「ループ」ではなく「新世界でかつての敵同士が手を取り合うこと」というテーマがシンジとアスカと一致してるのも大きいのかもしれない
ヱヴァンゲリヲンのQをみた。東信者である俺は村上裕一×坂上秋成×さやわかによるQ最速座談会ももちろん聞いたし、風花でのあずまんと坂上村上ustも見たし、はるしにゃんとあずまん...
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なんかあずまんにつぶやかれたしQ見て良かったわ。 https://twitter.com/hazuma/status/270937897249693696 https://twitter.com/hazuma/status/270943010051719169 それはさておき、庵野はひどい。 ヱヴァQは間違いな...
だからここで俺が気になるのは、あずまんがシビれるくらいの解答というのはどういうものなのか、に尽きる。他は正直どうでもいいのであしからず。 キーワードとなるのは「狂気」...
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