2012-09-23

「甘い」という文章を書いてしまう「甘さ」

25 歳、未婚。昨年の春、社会人になって、今年頭に転職した。

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「一人間として極めて自分が甘い考えをしている」

ということに初めて気づいたのは、大学に入って二年ほど経ったときのように記憶がある。

甘さというのは、例えばお金管理、人から出してもらうこと、など)や、

今の自分立ち位置学生時代なら「学生としての」、今なら「社会人としての」)に加え、

将来設計や、自分を向上させるということにおいてなど、

様々なことにおいて「自分は(君は)甘い」という自認や指摘が多い。

そして厄介なのは、それがまったく解消されていないということ。

そら必要最低限の「少し下」くらいまでは来ているのだろうけれど、

そもそも「甘い」のは「求められている必要最低限を満たせていない」からであって、

最低限に至れていないという事実からくる「甘い」という評価は、

もはや能力以前の欠陥として、私には捉えられる。

「甘い」と言われてしまえば、もちろん「なんとかしなきゃ!」がまず最初に来て、

意識的にそのような「甘さ」が出ないようにしようと思う訳だが、

これも「甘さ」の奥深いところで、そもそも意識できていたら「甘い」行動を取ることはない。

まり、私の矮小意識では及ばないところで「君は甘い」となっている訳で、

「甘い」の一つ前に「そんなことにも気づいていないのか」があるこの二重構造が、

「甘さがなくなるようにがんばって成長します」という宣誓を、

一瞬でゴミ箱行きにしてしまう。

「気付き」を持てていないから「甘さ」という欠陥が生まれることに、

どのように立ち向かえば良いのか。

もっと言えば、欠陥がある自分を克服し、大人になるにはどうすれば良いのか。

そしてこのような文章を安易に書いてしまう「甘さ」をどうすれば良いのか。

もう発言できる場所なんて、自分の意思を表明できる機会なんて、

やってこないような気もしてくる。

  • 「甘え」に過剰に反応する人って、逆に自分に厳しいからそう思ってしまうだけだったりするよ。周囲からみたら別に甘えてるようには見えないのかもよ?

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