2012-09-06

グッピーが死んだ。ちょっと前までぴんぴん泳いでいたのに。帰宅して水槽を見てみたら、ぷかりと水面に浮かんでた。

すごくかわいかったのに。エサがもらえると思って近づいてくる姿がいじらしかったはずなのに。

あんまり胸を塞がれることもなくて、ああ、死んじゃったんだってドラマとか漫画の登場人物みたいに、呆気なく認めてしまってた。

グッピーからなのかな。大切にしていたつもりだったけれど、所詮はたんなる小魚でしかなかったのかもしれない。

ただ、例えば犬や猫だったら、もっと悲しむことができたのかもしれないと思う。ペットロスになって、色々なことに手が回らなくなっていた可能性も、なくはないような気がする。

そうじゃなくても、ハムスター小鳥だったりしたら、もっとしっかり悲しめていたのかもしれない。トカゲクモだったらどうだかわからないけれど。

わたしにとってグッピーは、結局観葉植物のようなものしかなかったのかもしれない。気をかけて世話はしていたけれど、それ以上の思い入れほとんどなかったのかもしれない。

そういえば、小学生の頃、クラスメダカ飼育係をしていた時もそうだった。登校して、メダカが浮かんでいるのを見つけたとしても、あんまり衝撃は受けなかった。

命の大切さとか、生命のうんたらかんたらとか、あんまりよくわからなかった。メダカ所詮メダカしかなくて、それ以外の何ものでもなく、最後まで淡々と世話をする対象でしかありえなかった。

わたしは、大きな生き物じゃなければ、生死の比重をうまく判別できないのかもしれない。グッピーをかわいがってはいたけれど、大切なものとしてはみなしていなかったんだと思う。

動いていることと、生きていることの決定的な差異を見つけるのって結構難しい気がする。線引がどこでなされているのか、すごく曖昧なんだと思う

今更になって、ちゃんと弔ってあげられたらよかったのになって後悔してる。馬鹿だったなあって。

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