まあ、だいたい予想のつく範囲のことしか書いてなかったので
批判的なブクマがついてるんだろうなと考えて、見てみたんだ。
そしたら意外と実行しようとしてる人が多くてビックリした
みんな
「そういうの分かってるけど、コレが俺のスタイルなんだ!」
あとあんまし関係無いし、
女の子がおしゃれ辛いとか思うなら
やめればいいんじゃないと毎回思う
つか、幸せな心境って「他人の幸福と自分の存在意義が一致してる精神状態」のことじゃないのかね。
リア充というか、幸せそうな奴って、環境に関係なく俺の社会的使命はこれだ!って生きてるじゃん。
そういう社会の役割というか貢献って、要するに「他人の幸せ」の一種でしょ。
過剰な自意識から脱して、社会的価値に自己認識を見出している状態しか、幸せってありえないんじゃないの。
ありきたりな話だけど、環境がどんなに恵まれても内心が不幸なんてのは珍しいことじゃなし。
面白いと思って書いてるのかこれ
住宅街におけるネズミの増加が深刻だ。どこで深刻かというと我が家だ。
昨晩日も暮れ雨戸を閉めようとしたところ戸袋に隠れていたねずみが驚いてそのまま家の中に入ってきた。
部屋を密閉して家族総出で1時間以上探したが見つけられない。もうどこかに行ってしまったものと諦めつつもねずみ取りシートを設置し、部屋を後にしたら小一時間して超巨大なねずみがかかっていた。コレほどの巨躯なものがいったいどの隙間に隠れていたというのだろうか。なんという罰ゲームなのか。ネズミシートをパタンと畳んで新聞紙でくるんでビニール袋へぶっこんで燃えるゴミへ。なんだこれは。命とはなんなのか。
2~3年ほど前からネズミが屋根裏を歩くようになり、まもなくして家への侵入を許した。ネズミのダニは酷く噛まれるととてつもなく痒いうえ数ヶ月消えない跡になる。最初に異変に気がついたのはダニに噛まれたせいである。
天井に埋め込んでいる照明に通風口があり、そこから落ちてきたものと推測される。トタトタと歩く音に気が付き、これはもしやネズミなのではないかと気がついた。部屋に黒い紡錘状のちいさな糞をみかけたのと時期を違わず、まもなく食害にあった。ネズミにより齧られたビニール袋を見ればいかな楽天家でも対応をせざるを得まい。
天井の埋め込みライトを数十万かけて工事してもらい侵入口を家の周りに探したが僅かな隙間もみつけられなかった。木造建築ではない家の隙間を探すことは人間には難しい。ネズミ一匹とはいうが、きっと下水あたりのトラップを食い破って経路をつくったのか、もしかしたら屋根側の通風口からはいってくるのかもしれない。木造ではない建築がかえって対応を困難にさせる。ビルにも出るというので個人宅の努力など柄杓で海を救うが如くなのやも。
祖父母の代からこの地域に住まっているが、ついぞねずみなどというものを見掛けたこともなかった。しかし近隣に10階以上のビルも増え住宅の密集度があがったことが原因か、我物顔で庭を歩くネズミを見かけるようにもなってしまった。日中に道路を横切るねずみを見かける。わずか数年でだ。どこぞで殺鼠剤でも食ったであろうネズミが庭先で死んでいることもあった。いったいなんだこれは。
都内の地下鉄の線路の上をねずみが優雅に歩いているのを見かけるようになったのは10年ほど前だろうか、朝早くにはJRの線路でも見るようになったと思ったら、いつの間にか我が家にまでご来場されてしまった。フリーパスなど発行した覚えはない。他人ごとと思っているかもしれないが、都市化が進む以上、時間の問題だ。ゴミの夜間集積などでカラスがいなくなったと思ったら今度はネズミがやってくる。
色々試したが、有効な対策方法は駆除以外にない。粘着シートが一番だ。
殺鼠剤はダメだ、どこかで嗅いだこともないような匂いがすると思ったら徹底的に探せ。どっかの誰かが殺鼠剤を食わせた死骸があるはずだ。死骸からダニが広がる。早めに見つけて殺虫剤をまいておけ。天井裏や床下で死なれないよう万全を期して天に祈れ。
ネズミ忌避剤は人間にも香りが強い。しかも、すぐもどってくる。
超音波の装置は2~3個買った。「クマネズミとドブネズミに対する超音波防鼠器の効力試験」を読んだのは最近だ。数万円を投じた身には寂しいことが書いてあった。なんという。
ネズミの家族が引っ越してくるたびに捕獲をする。家に入られるまえに庭先のスノコの下などで捕獲する。滅ぼしても滅ぼしても半年ぐらいするといずれかの場所で増えてきてまたやってくる。全滅しても王様のもとに戻るだけだとか教会があって復活させてくれるのかもしれない。いったいトムの相手のねずみは何代目だというのだ。青いタヌキがネズミ相手に地球破壊爆弾を使いたくなる気持ちもわかろうってもんだよ。
この1ヶ月で3匹捕まえた。これを捕まえておかないと1ヶ月後に況や不逞の10匹を攻防戦を繰り広げ斃すことになる。我軍の被害も甚大だ。地域ぐるみで共同戦線を張らないといけないのだが都市部ではネズミの波状攻撃がヒトの連携を上回る。これではねずみごっこである。
1970年以前はほとんどがドブネズミであったものは現代はクマネズミであるそうだ。
クマネズミの商業地域から住宅地域への分散が1990年半ばより急増し2000年ごろをピークに相談件数が減っている。
http://www.city.meguro.tokyo.jp/kurashi/hoken_eisei/eisei/nezumi_gaichu/nezumi/index.html
しかし、確実にその勢力範囲は広がっているのだ。
ねずみはいつかやってくる。
覚えて置いて欲しい。やられる前にやっつけろ。君の大事な耳を齧られる前に。
悲しい。
よくわからん思考だ
両者に関連はないんだけど
どちらかつーと、ゼロサムではなくて、相乗効果があるような気がする
類は友を呼ぶから、しやわせそーな奴はそういう奴同士つるんでるもんだし
素晴らしい、お互い肝心なところで手出ししない、お前も俺もやめておこうぜ、というこの弱腰をもって同調となす感。
一度始めてしまえば後戻り出来ない争いに発展することもなく、そのかわり広大な外堀を埋める作業を延々と続けることだけは忘れない。
そうやって、高嶺の花が枯れるまで手出ししない関係、とても上質な外交術に思えてきた。
どうせ騒ぎたい系のオタクは何やったってやめないし叩き続けるし、どんなに巻き添えやらが出ても気にしないけど
一部のまともな人たちへの対応くらいはちゃんと出来るようにはありたいもんだね
ついでに調べておいた 自転車が 逆走できるケース 出来ないケースについて
自転車は路側帯を逆走できる。ただし、路側帯とは 左右に歩道のない道路の 歩道相当の部分であり 道路の端の部分ではない。
つまり、一般的な車線が複数あり、歩道があるような道路 では逆走は出来ない。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/2091/dokoho/17-2rosokutai.html
あと、右折時に2車線以上ある場合、中央車線 右車線への侵入ができないので、2段階右折になる場合がある。
http://eimaru.sakura.ne.jp/49cc-talk/2dankai.htm
賛否両論らしい。
これが何かの批判になっているだろうか
そういう意味では 自転車が法律を守って 1本レーンの道路を 走っていたら 右に車線がないという理由で追い抜けないんだが・・・それでいいのか?
原則的には 法律を厳密に守ると バイクも自転車も 車道の真ん中を通れ = 左から追い抜けるわけがない。 右から追い抜け。
という話になるんだが、 自転車に 車道の真ん中走って欲しいか? 右の車線のやつとして 自転車に右に入ってきて欲しいか? という話だと思う。
下手すると 追突事故が起きるぞ。
バイクと自転車の法律は基本的に同じだが・・・。ぶっちゃけ 自転車にとっては無茶な法律になってる。
一本道で 真ん中を 自転車が走行していたら 迷惑にも程がある。
http://anond.hatelabo.jp/20120904165905
http://anond.hatelabo.jp/20120904171659
というわけで、道交法は整備する時期が来ていると思うよ。道路と一緒に。自転車のことを考えないとちょっと無理。
勉強会のつもりで行ったらただのOFF会であまり勉強にならない、という事が多い。
(OFF会的な側面がメインなら、そう銘打って欲しい)
アウトプットは大切だけど、LTは銀の弾丸ではないので万能のように言うのいくない
テストファーストは有効な場面が多いけど、TDDは銀の弾丸ではないので万能のように言うのいくない
アジャイルの理念は素晴らしいけど、アジャイルは銀の弾丸ではないので万能のように言うのいくない
全ての言語は銀の弾丸ではないので、万能のように言うのいくない
アレ。。。
いじょー。
「ねー○○で××で▲▲なことがあったんだけどこれってどう思うー?普通ー?」
って聞いてくる人がいる。
明らかに「えーひどいねーそれ普通じゃないよひどいよー」って言ってもらう魂胆だっていうのが見え見えなんだけど、「ひどい」かどうかの基準て「普通or非普通」でいいのか?
「普通じゃない。でもそれってアリだと思う」とか「普通かもしんないけど個人的にNG」とかの答えは求められてなくて、「普通すなわちアリ」か「非普通すなわちNG」かの二択を問う意味は何だ?
クソ狭い群れのルールや価値観を再確認してるようにしか見えないんだけど○○で××で▲▲なことで負ったダメージだか損害だかを所属意識強化をもってどう修繕しようっていうのだ?
誕生日パーティーの準備のために1ヶ月無視し続けたらだめでしょ。
一つ役を与えるために偽物の役を一生懸命頑張る姿をバカにするのも(世間から見れば)だめ。
サプライズで一時的に傷つけてしまうようなことをするにしても、その傷が最小限、最低限になるようにしなきゃだめ。
世間的に見て、あのドッキリは限度を超えていたってだけの話。
ちょっとよそよそしいとかちょっと避けられるならいいけど、今回やったのは
「あとで優しくされたときにもっとうれしくなるように罵声を浴びせる」みたいなもんだから、
罵声浴びせるところだけ見せられた側がどう反応するかはお察し。
専門性が高まった今の世の中では無理じゃのう