しかし、
贈ったブランド物の食器がどうやら不評だった。
そしてFacebookに書き込んだ、お祝いのコメントも僕のだけ消去されていた。
きっと僕の不手際でその友人は機嫌を損ねたのだろうが、
その理由を聞く勇気もなく
ただ、愛想笑いが辛かった。
他人にとりわけやお酌をしてもらったら量や頻度の調節が面倒じゃないんだろうか
? 見方を変えればどうとでも言えるが
すくなくとも 日本が電子書籍先進国だ とは 言えないと思うぞ。
だいいち、電子書籍はリーダーではなく iPadなどやPCで読むものだし
例題に出した 英語の資料は 複数のリーダー+ PDFでPC用に出ていてPCでよめるという所が最大なんだが?
なんで、日本はPC向けにPDFでださないの?ハードの本が売れなくなるからでしょ?というところは見方の問題なんかじゃないと思うが。
個人的には、シーケンシャルな話し方しかできない奴は、話をする技術なりトピックなりに対する理解が足りてねーと思うんだよね。
申し訳ないが、「性的少数者」を「ホモ」と呼ぶことで傷つく人の数は「ごくわずか」ではない。俗に、同性愛者は人口の1%はいると言われている。その人々の中で、「ホモ」と呼ばれることを歓迎する人は(自虐ネタとして用いることはあるにせよ)おそらくほとんどいないだろう。つまり、傷つく人は日本人だけでも100万人はいるということだ。
ましてLGBT全体を「ホモ」でくくろうという乱暴な話へのクレームに関する話である。『ごくわずか』で済む話ではない。
また、間違った言葉の使い方(それも、無知から、多くの他人を不要に傷つけることになる可能性のある言葉遣い)を指摘することが「言葉狩り」に当たるという批判は、適切でないと思う。そもそも一個人から一個人への指摘であり、法的強制力も物理的な強制力もない中で、「狩る」ことなどできはしない。あくまで穏やかな「指摘」と「説得」を、「狩り」と感じるのは、一体何に脅えているからなのだろうか?
性的少数者の問題を少し勉強すれば、やまもと氏のとるべきだった唯一の対応は、「それが失礼な呼び方であると自分は認識していなかった。知らないこととはいえ、失礼した。教えてくれてありがとう」であったことが分かるだろう。知らないことは、誰にでもある。まして、どちらかと言えば社会的に「隠されている」話なのだから。そこで素直にごめんなさいすれば、それで終わりの話だった。
性的少数者の問題は、私にとってもあなたにとっても、決して他人事ではない。将来自分の子どもが性的少数者であると分かったとき、あるいは配偶者として性的少数者を連れてきたとき、あるいは友人が、恋人が、孫が、性的少数者であったと分かったとき、あなたがあなたの大切な人を差別の眼で見ないことを望む。人権教育というのは、差別される者だけのためや、あるいは糾弾とか闘争とかのためではなく、一人一人にとって大切な、そういう知識を学ぶためにあるものだ。
そうじゃない地域もザラにあれば、日本並に小さい本もザラにあるし
『りふれは』として出してくる人がすごく限定的。『不当表示~』の方に到っては実質的に片手の指で足りる程しかいない。だったら「○○派」とか言わずに、その個人に対して批判をすれば事足りるはずなのに、そうはしない。
つまりは学問としてのリフレは支持してますよ、とかの物言いは単なる建前で、実際にはそれを含めたリフレを(おそらく実際にはそちらこそを)貶めたいというのが本心であろう。
姑息な建前を語る彼らに、まともな議論をするのに必要な誠実さは期待できない。
追記:
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-ea63.html
を読んだが、どこまで卑怯者なんだこいつ。「リフレ派」と同じ読みで且つ小馬鹿にした「りふれは」なんていう表記をしながら、『思考経済のためのラベルとして呼んでいるだけ』って。
仮に小馬鹿にする意図がなかった場合でさえ、詳しくない第三者が見かければ「リフレ派」に対するネガティブなイメージを与えかねない。世の中には、はてブのタイトルだけ見る人も多くいる。
「ロッチ」シールみたいなパチモンをロッテが潰しに行ったのと同じく、「りふれは」なんていう表記が「リフレ派」にとって悪影響があるから憤慨しているのに、
『そう(りふれは)じゃない「リフレ派」までがあたかも自分が攻撃されたかの如く憤慨して筋の拗れた反発をされる』とかってもうね、どこまで理解力に乏しいんだろう。
もっとも、おそらく本当のところは理解した上で「リフレ派」を貶めたいからやっているだろうので、何言っても無駄だろう点が実に不毛だ。
追記2:
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-9fd6.html
もう完全に確信犯なんだな。どうしようもない、こういう芸風なのだろう。こんな人にシンパ持たれているマシナリさんなどが可哀想だ。
追記3:
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-d273.html
本人からリプがあったみたいだが、リフレ派の中の一部だけを取り出して、それを(リフレ政策を知らない人が見ればリフレ派と同一のものと勘違いしかねない)『りふれは』と表現することへの批判という、この記事の本題は完全にスルー。
そして下らない幼児じみた俺様論理の開陳や、リフレとは本源的に関係の無いミクロ政策の記事の引っ張りだけ。だったら黙ってればいいものにと思うけど、本当のことを言われてしまうとカチンとくるものなのかね。やれやれ。
「『りふれは』ではリフレ派との意図しない混同を引き起すという危険性を指摘されました。今後は『ミクロシバキ派』(でも、混同を引き起こさないものなら何でもご自由に)と呼ぶことにします」と言えば済むものなのに。
もっとも、「『りふれは』と混同させて(シバキに見える政策への支持が多そうな)リフレ派を貶めたい」というのが本心の人には、それは出来なくて当然か。やれやれやれ。
ついでに、マシナリさんも皮肉とは気付いていない模様。やれやれやれやれ。
呆れ返るというのはまさにこのような心情を言うのだな。
『りふれは』と表現した上でそれを貶した文章が、(リフレ政策について何も知らない)多くの人に対して「リフレ派」についてネガティブな印象を与えることがないと思うなら、その想像力の欠如はもはや哀れむべきレベルであるし、ネガティブな印象を与えることが分かっているのなら、その上で「リフレ政策は支持している」という不誠実さはこの上ない。
自分は発達障害であと休職中なんだけど、これからどうすればいいのか全くわからない。
親は家業を継いでいいという。その方がのんびり生きていけるし俺にとっても辛くない選択肢だという。
俺は今まで何とか社会に適合しようとして頑張ってきた。でも、そういうのに疲れてきた。
社会に適合して他の人間と交わり生きていくことが正しくてそうでない生き方は逃げで敗北だとずっと思って生きてきた。
親の提案は俺にとって今までの俺の努力を無にするような提案でとても受け入れられるものではなかった。
ただ、「普通の人間として生きる」ということに最近限界を感じてきてしまった。
どうすればいいんだろう。
横だけど、外食の時だって女がお酌して、女が取り分けて、女が男の世話をするのが日本の文化でしょう
宴会で鍋をつついてる時に、男が鍋の中身を取り分ける絵なんて浮かばない
取り分けるのは女の仕事
伝統的にはね
新しい考え方の男性が率先して取り分けるというのなら歓迎だけど
コミュ力って言うか大抵の奴こういう話し方しない?
自分が教わった内容を順をなぞって説明するだけなんで、全体像を説明する資料が用意されている場合のみ全体像を話すって感じで。
化物語の阿良々木君は、自己評価は低いけど、周りの女子目線だとかなりカッコイイ描写がされてるし
外食の時にどう振る舞うのかという話をしているんだけど、台所ってどこを指しているの?
やっぱり家にいる時と同じように取り分けるべき?
「何の取り得も無い主人公が美少女にモテモテ」は古きよきディープオタにしか受けないんじゃないだろうか。
キチガイ反原発が存在していようが、文明の恩恵に浴しているお前が原発の危険性低下に対しての責任を免がれる訳ではない。
お前が真面目にやれ。