「みんな変なら変ではない」って感じか。
みんな同じ病気ならそれが病気だと気づかない、「ウィルス進化説」の文化人類版みたいな。
結婚した夫婦みてて、凸凹具合に「ああ、お互いのダメなところが意識の死角で決定的に気付けないからうまくいってるのね」と思うことがあるのだけれど、自分自身(影、ね)にさえ気付けない彼等は幻想としか交われないんじゃないかな?
自分自身を含めた「他者」への認識の作法そのものの変化、があるのかな。
それが社会構造の何を写した結果なのか、という部分を考えていくとおもしろいのかもね
個人的には「なにものか」になることを強要された果てに「なにものにもなれなかった」と自分自身を見限り続けることしかできない人達の慟哭に見える。
状況に浸っている人にはどれだけ説明しても「違和感を抱いているということが伝わらない」というのがおもしろいですね。 ただケチを付けているという風に受け取られる。 まぁ、社...
「みんな変なら変ではない」って感じか。 みんな同じ病気ならそれが病気だと気づかない、「ウィルス進化説」の文化人類版みたいな。 結婚した夫婦みてて、凸凹具合に「ああ、お互い...
もう少し短くキャッチーになんない?示唆に富んだいいこと言ってる感じがするので。
お里が知れるというか…。