たまに自称仕事バカの優秀な経営者のブログを目にすることがある。1年365日仕事ばかりで休んだことないだとか、仕事とプライベートの区別をしたことないだとか、ワークライフバランスとかそんな悠長な事をいってるようではだめだとか、まぁどれも似たりよったりそんなものだ。
で、こういうのを読むにつけて、昔は、「やっぱりそうだよな、頭ひとつ抜け出るためには日々の人一倍努力が必要だよな。。旅行とかいって、遊びたいと思ってるようじゃだめなんだろうな。。」と思っていたが、幾つもの事例を見ているうちにそんな考え方は大きな間違いだ、ということに気がついた。
彼らは本当に仕事ばっかりしていて、まったく遊ばないのか。実際そんな生活をしている人もいるかもしれない。でもほとんどの場合、そうではなく、僕ら一般人が遊びと思っているものも彼らは「仕事」だと意識的にか無意識的にか思っていて、僕らが[遊んでる]と思っている時間も、彼らにとっては「仕事をしている時間」なのだということがわかってきた。
例えば、社員研修、○○研修と称して、富士山だったり軽井沢だったりに合宿に行く。彼らからしてみれば、れっきとした仕事であるが、会議で缶詰とかいいつつその場所は一流リゾートホテルだったりするし、当然のことながらそこで食べる食事は優雅なディナーだったりするわけだ。それは、普通に考えれば遊びだ。
逆にぼくらは遊びと思っていても、仕事をしていることも多い。なんだかんだいっても仕事をしている時間は自分の人生の多くの時間を割いているわけで、自分の人生を考えようとすると、仕事をのことを考えざるを得なくなる。だから、結局休みの日だって時間を持て余したりして、人生のことについて考えていると、自然と今の仕事についてどうしようとか、どうやったらいいだろうかとか、そんなことを考えることになる。それは結局のところ、仕事していることと同じなのだ。
だから、敏腕経営者の前に立って、ああ、彼らはすごいな、、それに比べて僕は。。みたいに考えることは全く必要なくて、逆に対等な立場に立っていて全く問題ないということだ。
で、結局こうした勘違いは言葉-ここでは主に「仕事」という言葉に対して-に付帯させている意味が、一人ひとりによって似て非なるものであるということが発端となっている。人が言葉を使うときにその言葉の定義は、同じ日本語を使っていても、一人ひとり微妙jに違う。敏腕経営者にとっては、リゾートホテルでディナーを楽しむことも、仲間と夜を明かして議論することもすべて「仕事」であるのに対し、仕事のことを考えていても、個人的に旅行している人はそれを「仕事」だとは思わない。表現している中身は全く一緒なのにである。
だから何というわけではないけれど、偉そうなことを言っている人の話も、視点を変えてみれば大したことはないかもしれないということだ。