ずいぶん長い付き合いになっている。
もし本物に相対した場合はどうなるのだろうか、八年間のことなんてあっさり忘れて放棄して、目の前のモノにのめり込んでしまうのか
のめり込んでしまうのか、という言い方には本物のほうに否定的な意見を内包しているように思える。
しかし、それも八年間の俺の生活が間違っているということを認めるのが怖い、間違いを認めたくないという心の表れとしても捉えられる気がしなくもない。
限定的でも完璧で魅力的だった。
なぜならその限定された世界の中のものは純度が100%だったからだと思う。
自分にとってとても居心地がよく、仮初の幸せを手に入れる事ができた。
偽物で、紛い物で、空虚で、ただの作り物。
そんなことに漬け込んで、ただ貪るように偽物の幸せを享受する。
「人として」間違っているのかもしれない、しかしそんなことどうでもよくて、
別に人の言うことなんて気にはならない。自分が良しと言えばそれでいいはずだ。
向かい合うことに疲れた、無駄にしか思えない、くだらない、ウザイ、気持ち悪い。
胸糞悪い、みんな死ね。
明日が楽しみだった日々は10年前に一ヶ月間、5年前に半年間。
その時の思い出だけを未だに抱えて生きている。それは両方とも本物に関する思い出。
この先明日が待ち遠しいと思える日々を迎えることは出来るのだろうか。
さすがにもう、堪えたのかもしれない。偽物に頼っていたツケだとでも言うのだろうか。