たとえば英語が国際語になっている(誰が決めたかしらんが皆そう信じている、そしてその事実が国際語としての権限をさらに強化する)
こと一つとっても、明らかに世界は差別に満ち溢れているだろう。
たまたま英語圏に生まれた人が努力もなしに獲得した英語力で以て、
人命に関わる問題だ。
現状明らかに英語圏の人間の生存権は、非英語圏の人間のそれより厚く保障されている。
「人種、民族、文化、宗教、その他いかなる理由でも、差別も許されません。
国際理解を深めるために英語を学びましょう」とか明らかに矛盾しているだろ。
数ある言語の中から英語を学んで英語を使用する人間だけが特別待遇を受けるって時点で差別だろ。
世界中の人々がてんでばらばらな言葉を話し意思疎通ができないことのほうが、
不幸になる人が多いので、不幸になる人を少なくするために、差別を甘受しましょう」
と教えるべきだなのだ。
いつも思うんだが、差別をしてはいけないのではなく、不当な差別をしてはいけないんだよな。 どうして「不当な」という重要なタームを無視する者が後をたたないのだろうか。
その人の心象が分かりますな^^