仲間外れにされてる学校で必死に呼吸をとめてやり過ごして、家に帰ってきてインターネットにつながってようやく息ができる、みたいな、そういう感じだったんだ。そうやってインターネット見てるの、気持ち悪い、って知ってた。インターネットの人たちはみんなそれ知ってたよ。自分たちが気持ち悪いことくらい。あの頃はインターネットなら気持ち悪いのがお互いさまだった。そういう優しさはあった。誰でもうまくやれるわけじゃないのに、うまくやれるのが普通みたいなのはつらいよ、って、本当に私もそう思う。
空気を読めないレスをする人間相手にそこからでていけじゃなくて黙って見ていろと言った彼らのやさしさを思う。あと、ヤバイ人は本当にヤバかった。ヤバさのグラデーションのなかでスリルを楽しむものだったくらいだ。あの頃の2ちゃんねるでブラクラを踏まないようにしつつ面白いものを探すのは楽しかった。バーボンハウスが懐かしい。
こう思うのは私が常にただの通りすがりでしかなかったからで、ホンモノの人たちは今日もどこかでインターネットなのだと思う。あの頃ならグーグル検索の1ページ目に出てきていたものが、今は遠く深く沈んでしまうようになっただけだ。それだけで私は、もうインターネットを見つけることができない。それは私の問題だ。辛い現実から逃げる場所だと思っていたところには、ほとんど現実と変わらない世界が広がっている。というか、そこは現実と地続きで、だから逃げ場にならなくなってしまって、つまらないなーって思っても、結局は自分の怠慢のせいだ。でもあの頃は面倒くさがりの私でも手の届くところに、見たくて聞きたい言葉があった。それで、そういう言葉を発する人がいることに救われてた。そういう言葉を非難したりする人がまだいなかったインターネット。
きちんとコミュニケーションをとり、人の意を汲み、良いアイデアを生み、それを行動に移すのが正しいってことくらい、ずっと知ってる。それができる人たちが正義で、できない自分がダメだってわかってる。でもできなくて辛かった。そういうのできなくても、おもしろいことあるよ、ってインターネットが教えてくれた。それをネタにするユーモアがそこにあった。なんかインターネット変わっちゃって寂しいな、って思うから、真性引き篭もりの人の文章はとても暖かかったし、G.A.W.の人の文章もありがたかった。インターネット、私の妄想じゃなかった。本当にちゃんとあったんだって。ふたりのような人がいるから、インターネットを好きになったんだ。
なんてかさ。 インターネットの人たちはみんなそれ知ってたよ。自分たちが気持ち悪いことくらい。 マジデ気持ち悪いわ。 草の根BBSの頃からやってるけど、「みんな」って誰だ...
「僕が」が非常に味わい深い名文。
あの文章をそう読めるなら、人生は随分と楽になるよなw
なんとまあ屈折した言いよう。
まさか本当にただのクソみたいな煽りを長々と書きたかっただけなのか・・・ 美しい展開の文章なのになんか勿体無いわ
ここは便所の落書き以下、増田だぜ?
あれを書いた増田だが、なるほど味わい深いw 自虐の体で、周りを巻き込むわけか。
「僕」を勝手に大きくして周りを巻き込む読解を本文で既にdisっているという二重構造は見事。