いや、意外とそんなもんよ。
もちろんゲームシステムとかは熟知してるだろうけど、プライベートで実際にやったりはしない人が多いと思う。
あくまで数字と仮説で判断してるだけなんじゃないかな。周りでGreeとかDeNA行ってる人を見ても大体そんな感じ。
仕事だからという以外の理由で実際にゲームやってる人は見たことない。ハマってる馬鹿の気持ちとかは想像しづらいんじゃないかな。
ソーシャルゲームやったことないし
ソーシャルゲームについての論争すらよく知らんけど
この人がろくでもないのはわかるぞ。
こんだけ長い文章なのに
自説についての具体的な例示が皆無&批判者へのぼんやりした攻撃に終始
なんだもん。
きちんと批判への反論材料がある人は
この人は批判者にたいして「古い」とか「定説」とか言うばかりで
ソーシャルゲームに関する具体的なエクスキューズが何にもない。
極端に言うと、こんな文なら内部の人じゃなくても書けるよね。
俺でも書ける。
「批判者は古い」「実態をわかってない」って言うだけで、実態について説明しなくていいなら、
さっきマック行ってお前の言った通りにやってみたら待ち時間なく速攻で塩無しポテトLが出てきたんだけど…(しかもみっちり隙間無し)
嘘つき!ふざけんなよ!
俺が損したジュース代払えよ
ソーシャルゲーあんまりやったことなさそうな雰囲気出てるのに「お前らどうせやんないで批判してんだろw」とか言ってる人はだいたい中の人なんじゃないかという仮説を持ってる
レスしてる奴がどいつもこいつも明らかにソーシャルゲーやったこと無い奴の意見ばっかでワロタw
金払って装備強くするとパーティ組もうって女が寄ってきたり、友達と進捗見せ合ったりできるから楽しいの
そこらへんの出会い系サイトなんかより女釣れるし自己顕示欲が満たされるからやるの
ハード(笑)グラフィック(笑)ゲーム性(笑)なんて言ってる友達居ないはてな民にはこの楽しさはわかんないのwww
わかる?
きっとこの世界は現象があるだけだ
どこまでも分解できる
砂山を崩していけばただの砂になる
砂山なんてない、砂が集まっていたという現象があるだけだ
砂がある?原子が集まっただけだ
ただの組み合わせに名前を付けて、そこにあるようにしただけだ
それを作るのは意識の中だけで、本当にあるわけではない
見る先の物体と、見る側の人があって、そのようなものが楼閣のように成っただけだ
すべてには存在がある
消すことはできず、体の檻に閉じ込められている
死によってのみ、あらゆるしがらみから解き放たれる
あの議論に参加してる人の中でエロゲやってんのはせいぜい一人か二人だろ
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/kotorikotoriko/20111104/1320380445
の、ような賞賛。
RPGの話をする。
RPGっていっても、テーブルトークRPGやMMOとかじゃなく、ドラクエやFFみたいな俺が青春を費やしたやつだ。
ストーリーってもう出尽くした気がするんだよね。
かつては、ストーリーに出尽くしなんかないと思ってた。
もちろん、定番のネタというのはあるけれども。
でもさ、思えばRPGにおけるストーリーの制約はけっこう厳しい物がある。
町の平和を守るとか、そういう小さな目的から、世界を救うといった大きな目的まで、その流れに沿って話を進めないとならない。
ハードと媒体の進化によって、グラフィックや容量に制限はなくなった。
いくつもの国があり、それぞれの国にはいくつもの町があり、それぞれの町には何百人、何千人、時に100万人以上の人間が住む大都市まで登場する。
そんな世界では、一人の魔王を勇者が倒せば諸問題が全部解決する、なんてことはありえない。
現実と同じくらい複雑な世界では、その世界の諸問題も現実世界の諸問題同様に複雑で、誰か一人をやっつければ解決するほど単純なものではない。
独裁者、魔王、そういった一個人をラスボスにすることが出来ないとなれば、ラスボスは超存在とか概念となる。
スーファミ時代から、いやファミコン時代の後期からそういう傾向はあったけどさ。
でも、そういうのってしっくりこないんだよね。
昔話、神話で刷り込まれた勇者が魔王を倒すっていう基本のストーリーははやっぱり強力。
そういう単純な話、敵をやっつけて一件落着というラストに落とし込めるような、箱庭的な小さな世界観のゲームのほうが結局面白い。
「世の中には善と悪だけじゃなくて、偽善やら偽悪やら、善のつもりで悪をしてたり、その逆だったり、頭じゃわかっても憎しみは消せなかったり、いろいろあるんだ」
などと説教されても
「うるせーバカ」
となっちゃうだろ?
最近になって、糸井重里がMOTHER3の開発が頓挫した理由を「大作主義に陥ったため」と説明した理由が理解できてきた。
フラッグシップハードのRPGは大作である宿命が義務付けられている。
グラフィックは美麗でないといけないし、美麗なグラフィックは古典的で単純なターン制では許されない。
誰得な複雑でわかりにくく珍しさだけで楽しくもないシステムを抱き合わせさせられる。
世界は壮大でないといけない。
敵の目的も壮大でないといけない。
ちっぽけな主人公の存在が世界の大きさに押しつぶされてしまうのだ。
(じゃあ主人公をちっぽけじゃなく、特別な存在にすればいいのか?そんな特別な存在に感情移入できるのか?)
ずいぶんと後に、ゲームボーイアドバンスでMOTHER3が発売された。
物語の全てが小さな島のなかで進行した。
人類が生き残っているのはその小さな島だけだった。
それでも、大作を目指してしまった痕跡と言うか、いろんなものを詰め込み過ぎた痕跡が見え隠れして、MOTHER2ほどの面白さがなかった。
「他の犬は知らないかもしれないけど、君達が世界を救ったこと僕は知ってるよ」
と言ってもらえるような冒険がしたいんだよ。
え?いや君は謝ってないじゃん?